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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

500円ハゲと愛知のお母さん

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幸いな事に、僕はまだハゲてはいない。しかしこれまでに何度か、円形脱毛症になったことはある。

この季節になると、初めて円形脱毛症になったあの頃を思い出す…

もう15年前になる。3月の終わり。僕は、それまで縁もゆかりも無かった愛知にやってきた。

どうにか内定をもらった会社の、ボロボロの寮で、来たる入社式を控えていた。

 

大学院を中退し、半年間の鬱屈したフリーター生活。誰も知り合いのいない愛知で、大して望んでもいなかった会社。寮は築30年12畳相部屋。僕の心は折れかけていた。

 

それでもさすがに、こんなボサボサの頭では入社式に行けない。

どこかで髪を切らないと。見つけたのは、寮の近くの床屋さんだった。

僕は美容院選びが好きではない。あのトークが苦手。初対面ならなおさら。しっくり来る美容院を選ぶまでに時間がかかるし、一度決めたら変えたくない。

だけどその時の僕には、そんなワガママを言う選択肢も余裕もなかった。

 

赤と青のクルクルが回っている、昔ながらの床屋さん。お世辞にも美容院ではない。

「いらっしゃい」

迎えてくれたのは、自分の母親ほどのおば(あ)さんだった。髪は白いが、とてもお元気そうだ。一人で切り盛りしてるのだろうか。

「お客さん、こっちは初めてかね。関西弁だで」

おばさんのコテコテの名古屋弁に戸惑いつつも、軽妙なトークに、僕は不思議と癒されていた。伸びに伸びた鬱陶しい髪が、綺麗に切られていく。

 

すると、おばさんが言った。

「あんた、ここにハゲあるがね」

促され触ると、後頭部に500円大のハゲが、たしかにあった。

全く気付かなかった。たしかにストレスは溜まっていたかもしれない。だけど、さすがにショックだった。

「ハゲにはこれ付けるといいでね。初回やしサービスしとくわ」

気落ちする僕をハゲましてくれたのか。おばさんはそう言いながら、500円ハゲに育毛剤を振りかけ、指でハゲをぐりぐりしてくれた。

その育毛剤は、毎日付けてると2ヶ月ほどでハゲが消えるとか。でも一本8000円もするらしい。

ハゲは嫌だが、さすがに高い。まだ20代半ばだった僕は、育毛剤という言葉にも抵抗があった。

 

ハゲをぐりぐりしながら、おばさんは聞いてきた。

「せっかくの男前が台無しだがね。何かあったの?」

僕は、これまでのいきさつを話した。大学院を辞めたこと。半年間フリーターだったこと。もうすぐ社会人生活が始まること。

おばさんは黙って聞いていた。そして言った。

「うちの息子も、昔、同じようなことがあったんよ」

 

聞くと、息子さんも、大学の一時期、不登校になっていたらしい。その時、僕と同じような10円ハゲができていたとか。色々ありつつ、今はすっかり元気になり、大手メーカーでバリバリ働いているそうだ。

 

そうだったんですか…何はともあれ、息子さん、よかったですね。ハゲを見つけてくださったので、僕もあとは治すだけですね。

そんなことを話しながら、ヘアセットも完了。

いささかレトロな髪型になった。けど、僕の心はハゲやか、いや晴れやかになっていた。

 

ありがとうございました、そう言って席を立つと、背後からおばさんの小さな声が聞こえた。

「これ、持っていき」

渡されたのは、あの育毛剤だった。

いえいえ、貰うことなんてできません。

そう断ろうとすると、おばさんは有無を言わさぬ剣幕で、子供を叱りつけるように言った。

「いいから!持っていきなさい!」

その迫力に、僕はありがとうございますと、育毛剤を受け取るしかなかった。

 

店を出る時、おばさんは外まで出てきてくれ、大きな声で僕に言ってくれた。

「毎日付けるんよ!そしたらハゲ治るからね!頑張るんよ!」

不意に涙がこぼれそうになった。愛知で頑張れそうだ。そう思えた。

 

毎日育毛剤を振りかけ、指でぐりぐりする僕の姿に、知り合って間もない相部屋の同僚は、驚いていたそうだ。とんでもないハゲが相部屋だと思った。仲良くなってから、そう彼は教えてくれた。彼とは今でも交流がある。ちなみにハゲてはいない。

 

入社式が終わり、退屈な研修が終わり、地獄の工場実習にも慣れてきた春の終わり。あの育毛剤は、静かにその役目を終えた。

500円ハゲを指の腹でさすると、はっきりと産毛の感触があった。

 

あれから、あの床屋さんには、行っていない。

地獄の工場実習のせいだけではない。

陽気な同僚。初めての給料。週末の合コン。社会人の楽しい一面を知ってしまった僕は、すっかり色気づき、可愛いスタイリストのお姉さんがいるお洒落な美容院に行くようになっていた。

勿論あの床屋さんのことは気になってたし、お礼も言いたかった。だけど気恥ずかしさと面倒臭さのせいにして、結局行かないまま、7年後に愛知を離れることになった。

 

あのおばさんは、今もお元気だろうか。

毎年この季節になると、ふっと思い出す。

僕がなんとか社会人になれ、500円ハゲを治せたのは、貴方のおかげです。

もし7年間の愛知時代にお母さんと呼べる人を一人挙げてと言われたら、僕は迷わずあのおばさんの名を出します。名前は分からないんですけども。

敬愛を込めて、名古屋のお母さんと勝手に呼ばせて頂きます。

ありがとうございました、名古屋のお母さん。

頑張って下さい、新社会人の皆様。社会人も捨てたもんじゃないよ。ハゲは治るよ。