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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

ありがたいけど油断大敵

嫁さんのホルモン治療は、最初こそダルそうだったが、思ったよりはマシで、ほぼ普段通りに日常生活を送れている。ありがたい限り。

でも副作用かストレスで、胃にポリープができ、他場所に血栓もできた。ボディーブローのように嫌なことが蓄積。5月からはいよいよ、6ヶ月におよぶ抗がん剤治療が始まる。術後最大の正念場。嫁さんの体調、育児対応、仕事との両立。正直不安しかない。髪が全て抜けてしまう前にと毎週マツエクに通いつつ、ウィッグも揃え、さあ来いと備える嫁さん。油断大敵。

 

4月から小学生になった長男。幼稚園の時とはまるで別人。小学校に行くのが楽しくて仕方ない模様。幼稚園の卒園式での頑張りが自信につながったのか。本人は小学校の勉強が楽しいらしい。録音しておいて将来勉強をサボったときに聞かせてやりたい言葉。覚醒の理由はともあれ、毎日機嫌良く小学校や放課後デイに行ってくれている。

ありがたい限り。でも慣れてきた頃が一番怖い。油断大敵。

 

年少の次男は、まだ年少だったっけという貫禄を備えているが、言ってもまだ3歳。グズりはしないが、一緒に行ってたお兄ちゃんがいなくなり、少し寂しそう。それでも元気に頑張ってくれている。預けた後、車で帰る時、毎回先生に抱っこされ、窓から満面の笑みで手を振ってくれる。

ありがたい限り。でもそろそろ疲れが溜まって来る頃。油断大敵。

 

そして僕。4月から神タイミングで導入されたフレックス制度を使い、毎朝次男を送迎してから出勤。朝礼に出ないため、上司キラーマシンの冷たい視線、時には目の敵にされることも。そして一向に減らない仕事。毎日が理不尽の連続。だってここは戦場、いや修羅の国だからね。朝バスの中で北斗の拳2の「TOUGH BOY」を聴きながら気合をいれる日々。毎日心が折れそうになる。

それでも頑張れるのは、この前誕生日を祝ってもらえたから。誕生日だというのにいつも以上に忙しかったけど、旧Twitter(X)で沢山お祝い頂いた。それに帰宅すると、家族からサプライズが。

https://x.com/zohbey/status/1777708473578672439?s=46&t=L00dH5WJdy6mZORetCJWYw

こんなんずるいよなあ。仕事を休もうか、辞めようか、そんな気持ちは一時的に全て吹き飛んだ。

 

ロマサガRSの生放送で、新作サガエメ発表コラボイベントが最高すぎた。コギャルの教授をゲットできた。

勝利の女神NIKKEの新スタイルのチアリーダーのキャラがあまりにもえちえちで可愛かった。

一推しグラドルのちとせよしのさんが二日連続で夢に出てきてくれ、SNSでいいねもくれた。

日々の小さく大きな幸せで、僕はまだまだ頑張れる。ありがたい。

GWまであと少し。体調に気をつけて、油断せず頑張ります。

 

老害と若輩

週末恒例の息子(6才、3才)二人との男3人旅、通称「男旅」。今日は電車大好きな彼らのための冒険企画として、電車で大都会の難波に初上陸。少々疲れたけど、子供達もとても喜んでくれ、楽しく過ごせた。

その帰り、難波から出発を待つ電車で、事件は起きた。

 

僕達は3人席に座った。子供達は外を見ようと、両膝をつき窓向きに座り、電車を見て喜びながら話していた。

対面の3人席には、おばさん2人が座っていた。

そこに、一人の初老男性(以下、老害)がやってきた。座るやいなや、老害はいきなり大きな声で、子供達を指差し、僕を怒鳴りつけた。

「注意しなさいよ!汚いやろ!うるさいやろ!」

周りが静まるほどの大声。僕は一瞬、何が起こったのか分からなかった。

たしかに子供達は靴は履いたままだったが、座席に靴は触れていなかった。勿論座席で立ったりはしてない。それに二人は普通に話していた。電車に乗れてテンションは高めだったが、騒いだり暴れたりは全くなかった。少なくとも老害の声の方が10倍うるさかったと思うし、老害の方が汚かった。

すぐ怒りが込み上げてきた。僕はマスクを下げ、抑えたトーンで言い返した。

「なんやその言い方は。でかい声出すな。」

老害は何やら言っていたが、覚えていない。僕は右手をパーにし前にかざした。これ以上喋るな、黙れという意味で。

シーンとする車内。おばさん達は僕をチラチラ。子供達は驚いていたが、何が起こったのか理解できてない様子。

老害はそれ以上何も言って来なかった。言ってやったぜすっきりしたぜといわんばかりにイヤホンをつけ、本を読み始めた。

僕は子供達の靴を脱がせ、子供達を落ち着かせた。 

体の震えが止まらなかった。

 

自分の子供達を汚物みたいに言われた怒り。

反抗して来ない相手を選んで正論をふりかざる高圧的な態度への腹立たしさ。

自分なりに子育てを一生懸命やってるのに、何も迷惑をかけていないのに、なぜ赤の他人にこんな言い方をされないといけないのかという悔しさ。

どうせ子育てもろくに経験してないorやってないであろう老害に、何を言っても無駄だと言う無力感、悲しさ。

僕はしばらく老害を睨み続けた。子供たちがいなければ、本気の喧嘩に発展していたかもしれない。老害の本を奪い投げ捨てていたかもしれない。それはさすがにしなかったけど、感情を抑えきれず、老害を盗撮しSNSに晒した。良くないことなのは分かっていたが、炎上上等、戦ってやるという気持ちだった。

僕たちが先に電車を降りた。降り際、僕は老害に顔を近づけ、抑えたトーンではっきりと言った。

「クソが」

老害はイヤホンを付け、目線を合わせないままだった。僕はそのまま子供達の手を取り、電車を降りた。 隣のおばさん達は驚いた目でこちらを見ていた。どう思われてるかは分からなかった。

そして後悔した。「クソが」は良くなかったな。せめてきちんとイヤホンを取ってあげて、

「お前の方がうるさいし汚いんだよ、この老害が」

と正確に言うべきだった。

黙り込んだりぺこぺこ謝るのではなく、一定の反撃はしたけど、全く足りなかった。でもそれをやる意味も価値もなかった。気持ちを適切に瞬発的に相手に向かって言語化できない自分が、もどかしくて仕方なかった。

 

最寄駅に着き、嫁さんと合流。

嫁さんは老害に憤激していた。そして言った。ムカつきすぎる。黙らず言い返したからそれで十分。私なら多分驚いて何も言えない。どうせ話しても無意味。腹立つのは分かるけど子供に何されるかわからないからこれで十分。盗撮晒しは気持ちは分かるけど炎上が心配。しばらく頭を冷やして消すか考えたら。モザイクして残してもいいと思う… 

 

療育が終わり、うどん屋さんで晩御飯を食べた。美味しいカツ丼が身に染みた。

そして一人の時間をもらい、頭を冷やすことにした。

晒し投稿には、沢山の賛否両論のコメントがついた。写真のインパクトは絶大だ。共感のコメント、冷静なコメント、批判のコメント、謎のコメント。僕は、頂いたコメントを何度も読んだ。


いるよねこういうボケた老害って

引っ叩きたくなる。うん
私は言い返すよ!煩いのはお前だよ老害!ってね
通りすがりでいきなりリプごめんなさいね💦
でも、分かるわぁ子供や小さい子連れて移動って大変なのにと思うのと、煩いなんてないわね。ホント…うん
我慢せずに言い返してもいいのよ。次からそうなさい。(*´ω`*)

 

おじーさんちょっと(´・ω・`)!
こちとらアンタの年金はらっとるんじゃい!!
お疲れさま、パパ大変だねと言ってくれい👊

 

言い方ー(´;ω;`) ⚡️
子供怖がらせてどーすんの❗️っと思います💦
くっく👟も声も、余程で無い時は多少こらえてほしいですよね💦

ちびちゃんがお靴でイスに立っちゃった時は「親御さんお靴ぬぎぬぎお願いできる?」って聞く事ありますが、
最初っから大きな声でおどすみたいに言うのは絶対だめぇ🥲‼️

私も子供がいないので、
子育ての大変さは真には分からないですが。。。


お子さんの前でグッ!とこらえられたのは流石です👏
お二人ともビックリしたでしょうが、パパがドンと構えてくれていましたから、
怖い記憶に残らずに眠れそうに思います❗️


どうぞ、ありったけをお話ください。
みんな静かにお聴きします╰(*´︶`*)╯


嫌な思いをしたし、お子さんも怖い気持ちになったでしょう。でもこんなヤツは逆上してそれこそ子供を蹴ったり殴ったりしてきた可能性もあるので、お父さんが堪えて良かったと思います。キ〇ガイに理屈は通用しませんし。

 

大阪でしょうか?同じ府民として
情けなく恥ずかしいです。
子供は少し騒がしいもの。
多少気に触っても子供相手に叫ばないでしょう。普通は。公共の乗り物使うなら十分あり得る事。
それが嫌ならプライベート空間保てるマイカーで移動すればいい。

 

さまようろうじん

お優しいですね。自分ならお前がうるさいと言って睨めつけちゃいますね。

 

まぁ、色んな人が居てるし、腹立たしい気持ちも分かります。でも関わらないのが吉ですよね。変な奴は刃物持ってたりするので怖いですよ。
器の小さい奴やなぁと思いながら寧ろ憐れんだ方が良いかもです。
踏んだり蹴ったりでしたね。お疲れ様でした。

 

災難でしたね(ノД`)

世の中には色んな人間がいるので気になさらない方がいいです!
きっともう一生会うことない奴でしょうし!⚡

 

気持ちはわかりますけど、盗撮?してまでは載せないほうがいいんじゃないかな~って思いました。ぞうべいさんは自分よりずっと立派な父親だと思っていますし、男旅も素敵だなって思っていたので、ここだけはちょっと意見が分かれますね。
いろんな方がいますよね😔

 

ムカつくって気持ちは理解できますが、この手のポスト、下手に炎上すっかもしんないから、気持ちを落ち着かせて炎上予防で削除したほうがいいとは思いますね💧


老人が公共機関を使う際は保護者の同行を義務付けるべき
責任は保護者が取るようになれば老害案件が激減するだろ
#老害

 

悔やむ事など何もない。言い返さなくてよかったと思うね。この程度の倫理観しか持ち合わせていない人だと手を出してしまったりして大事になりかねないし盗撮までして晒す行為は犯罪に等しい。
腹が立ったとしても文言だけで充分。
老人なんぞほっといたってじきにくたばるだけなのでほっとけばOK。


最近よく見るんだけど、自分の子どものマナー違反を他所様に注意されて、逆ギレって多いよね
電車内で子どもの声がうるさかった&土足でシートに上がってたのを注意されたみたいだけど、「そんなに大きな声で喋ってなかったのに!」って父親がキレて盗撮してるんだけど、どう考えても親の倫理観ヤバい

 

ちんぽを見せて黙らせればいいじゃないですか

でかい陰茎は、強さの象徴です

 

共感の言葉、冷静な言葉をくれた皆様には、感謝してもしきれない。本当にありがとうございました。批判の言葉には理解も感謝も出来ない。けど、こんな風に思う人間もいるよねと思った。車を暴走させた老害に妻子を轢き殺された遺族に対し誹謗中傷する人間が存在するこんな世の中だ。最後のは思わず笑った。冷静さを取り戻すことができました。感謝です。

 

何が正解だったのか。僕はとんでもない間違いを犯したのか。この気持ちはどうすれば良いのか。次からどうすべきなのか。モヤモヤは晴れない。

でも療育の授業で、子供達が嬉しそうに先生に、「でんしゃいっぱいのった!なんばいった!」と話してたと聞いた。

嫁さんは療育の先生達にこの件を話したそうで、まだそんな事を言う人がいるなんて信じられないと、先生達が一緒にブチ切れてくれたことも聞いた。

僕自身も信頼のおける人に話し、その人は一緒に怒ってくれ、冷静な意見も言ってくれた。

寝る前、子供達は布団を電車みたいに引きずり、「なんば!とうちゃくしまーす!」と遊び、なかなか寝なかった。そして「パパ、またあしたも、なんばいこう」と言いながら眠りについた。

それを見て、僕は晒しポストを削除しようと決めた。

 

老害へのモヤモヤは残る。願わくば誰からも好かれず、できるだけ苦しみながら、速やかにおくたばり頂きたい。でもこれ以上火種を残すのはよくない。こんなしょうもない老害ごときで自分のアカウントを汚したくない。老害予備軍が押し寄せてきて炎上するのもつまらない。老害も予備軍も、話してわかるような人種じゃない。

何より、子供達のいい思い出になってくれたのなら、もうそれでいい。

こんなモヤモヤ、さっさと忘れたい。ただでさえ毎日忙しく大変なのだから。モヤモヤはこの記事で供養し、老害回避、再発防止、もし再発した場合の対応策に繋げたい。そのため、消えてしまうであろう頂いたコメントはここに残させて頂いた。

お目汚し失礼いたしました。自分はまだまだ若輩者だ。盗撮晒しは以後気をつける。瞬時に言い返す瞬発力、適量的確な反撃力が欲しい。口喧嘩はもちろん、メンタル的にも強くなり、器の大きな人間になりたい。将来老害にならないために。

がんにも負けず、会社にも負けず

乳がんの最終結果が出る直前の週末。少し外出したいと言った嫁さんが、自慢の長髪をバッサリ切ってきた。突然なので驚いたが、理解した。

もうすぐ抗がん剤治療がはじまり、髪が抜けてしまうから。

続きを読む

HER2陰性じゃなかったのかよ

先週は午後から嫁さんと病院へ。先月手術した乳がんの病理検査結果が揃い、今後の治療内容が決まる。

向かう電車の中で、嫁さんが調べたメモを見せてもらう。抗がん剤の種類や副作用がびっしり。誰にとっても抗がん剤は辛いしやりたく無い。でも多分やることになるんだろうな。そう覚悟しつつ到着。

結果は8割ほどで、全部揃うのは来週(3/14追記→4/3に決定)といわれ多少拍子抜け。でも大枠はおそらく決まった。

結果を下記にメモします。

 

⭐︎3/13結果

・遺伝子変異(BRCA1/2)   無し(=遺伝起因ではない)
・再手術 無し(=綺麗に取れており問題なし)


・ステージ pT1C (2a) (初期検査から変更無し)
・グレード 2(中間) (初期検査から変更無し)

・リンパ節の転移がん 

(初期検査では転移無し。手術時に発覚)

トータル14個取り、うち2個だけががん陽性。4つ未満だったのが大きかった(後述)

 

・HER2

(初期検査では陰性)

1+(弱陽性)

(でも2+,3+なら陽性で別治療必要だったので助かった…)

→3/14追記  ごめんHER2 2+でした追加検査が必要なので時間くださいと病院から連絡あり

これはキツイ。嫁さんが心を折られてしまった。抗がん剤がさらにキツく長くなるかも、調べないと。寄り添わないと。


⭐︎術後治療
①抗がん剤
 ・点滴 
   タキサン+アンスラサイクリン 
            または タキサンのみ のいずれか
を、3週間に1回。初回だけ毎週。 

おそらく4月からスタート。

トータル3ヶ月または6ヶ月。

点滴タイプの抗がん剤は副作用がとてもしんどい。脱毛ももちろんする。始めるのは長男の入学式が終わってからの予定。

なお、経口タイプ(副作用がマシ)でも TS1 1年間 というのがあるみたいだけど、点滴タイプの代替となるかは不明(データ無し)なので、やらない。

 

なお、現状、抗がん剤をやるかどうかの指標(KI67)の数値

・現状(初期検査)で20%

   ・数%〜10%
   抗がん剤した方が良い
   通常は6ヶ月→PC療法で3ヶ月になるかも
 ・14%以上
   抗がん剤必要、6ヶ月

に対し、現状(初期検査)の値は20%

最終結果にもよるが微妙なところ
オンコタイプ検査で、再発率、抗がん剤の上乗せ効果を算出することも可能
3〜4週間以内に結果出る
費用は13万円くらい(保険適用)

※3/14追記 でもHER2陽性(多分)だからオンコタイプするまでもなく抗がん剤…

HER2陽性の場合は、抗がん剤がもう一種類追加、期間も3〜6ヶ月→1〜1.5年に延びる見込み。

そら凹むわ。その日、電話で嫁さんは、ごめん愚痴言わせて。もう死にたい。子育てもしたくない。そうこぼした。そうやな…と黙って聞くしかできなかった。結局その日の夜の長男の卒園式の件で、凹む暇もなくなってしまったわけだけどもね。長男ほんとうによくやってくれたよ。救われたよ。(別記事ご参照)

https://blueeleson.hatenablog.com/entry/graduate_kindergarten


抗がん剤副作用
脱毛
免疫力低下(白血球減少)
手先痺れ、むくみ、下痢、便秘、吐き気 
などなどが可能性あり

厳しい時間になるだろう…


②ホルモン治療
・飲み薬(タモキシフェン)10年間 
・注射(1ヶ月or3ヶ月or6ヶ月)
 飲み薬と注射両方必要


③放射線治療
やる場合は、抗がん剤終わってからだけど

多分今回はやらない見込み。

なお副作用は、シリコンパック硬くなる(皮膜硬縮)、元には戻らない、2人に1人はなるらしい

今回、もしリンパ節で4個以上ガンがあると、抗がん剤プラス放射線治療が確定だったが、2個だったのでその事態は回避できた


※頭皮冷却装置

髪は抜けるが、やると戻りが早くなる
通常は6ヶ月でショートヘア似合う程度になるのが、これやると3ヶ月ほどに短縮
ヘッドキャップ 9万円購入
使用料 1.5万円/回

だけど迷わずやるとの事、それがいいと思う

 

取り止めもないメモで恐縮です。じわじわ状況が深刻になっていくのがしんどい。抗がん剤が始まると、また色々大変になる。もちろん嫁さん本人が一番しんどく辛い。加えて6歳3歳の子供達をたちまちどうするか。4月からは時差出勤させてもらって朝幼稚園小学校に送ることにする。朝だけはファミサポが無いから。それしか方法がない。ちょうど4月からフレックス制度が導入されたのが唯一の神風。だけどキラマが色々難癖。これからが正念場やなあ。

卒園式 終わりよければ 全てよし

あの5者面談からバタバタ時は過ぎ、あっという間に迎えた長男の卒園式前日。嫁さんに電話。担任の先生だった。

「明日の卒園式のことで、お話が…」

内容は一瞬で予想できた。明日はうまくできないかもしれません。でも、褒めてあげてください。これまでの生活発表会などと同じ流れ。嫁さん担任の先生に園長先生も交じり緊急3者面談。

聞くと、卒園式の最終予行演習で、壇上で卒業証書をもらった直後、彼はその場でぐだっと寝転んでしまったらしい。

僕は思わず笑ってしまった。嫁さんも。なるほど今度はそう来たか。しかし先生は、こうも教えてくれたそうだ。

卒園式の練習後、彼はいつもぐったりしています。特に今日は、仲良しの友達を相手にできないほど、疲れ切っていましたと。

よほど緊張しているんだろう。この前の5者面談でもあったけど、長男にとっては、その場にじっと座っているだけで必死なんだろう。たとえるなら、高い所にいないといけないけど、自分一人だけ高所恐怖症で、周りは平気、そんな感覚なんだろうか。さぞしんどいだろう。長男がとても可哀想になった。

先生達は言った。

「生活発表会よりも、さらにできないかもしれません。どうか温かい目で見てあげてください」

もちろんだ。この前の5者面談で話した通り、出来た事実をしっかり見つけ、褒めてあげよう。絶対に何があっても叱らない。仏の心と曇りなき眼で、最後の彼の晴れ舞台を、笑顔でしっかり見届けよう。腹は括れている。

もっとも、それどころじゃない事情もあった。乳がん手術を終えた嫁さんが、当初HER2陰性だったのに、HER2陽性の疑いがあると言われたのが、その日の昼だった。HER2陽性は、抗がん剤が2種類に増え、期間も3~6カ月から1~1.5年に延びることを意味する。激しく落ち込む嫁さん。励ましながら僕たちはこう結論付けた。長男は、もちろん次男も、とにかく元気なら、それでいい。

とはいえ、少しでも彼の緊張が和らぐおまじないを見つけてあげたい。帰宅し、長男に明日の話を軽く振ると、途端に口数が少なくなった。明らかに緊張している。僕は笑顔を作り言った。

「だいじょうぶ。あした、パパママもいっしょにいくよ。ぜったいにおこらないからね。」そして「しんどくなったら、こうしいよ」と、両手をグーパーしてみせた。

すると長男は言った。「しんどくなったら、こうする。」そして、お祈りみたいに、両手(両指)を組んでみせた。「それ、ええな!それでいこう」どうやら、担任の先生がこっそり授けてくれていたようだ。それで落ち着いたのか、長男は普通に眠りについた。

 

いよいよ卒園式当日。朝はご機嫌だったが、幼稚園に着くと途端に表情が曇り、ぐずりだした。あーこれはいつものやつかな。この前の生活発表会の日もそうだった。一人だっけ抱っこされギャン泣きし続けた年長の進級式のときもそうだった。今までなら、頑張れと気合をいれていただろう。

しかし今回は違った。「いややんな。でもだいじょうぶやで。しんどくなったら、こうやで」僕はぎこちない笑顔で言い、例のお祈りポーズをしてみせた。長男はうつむき、お祈りポーズを返しながら、幼稚園の先生に抱っこされ連れていかれた。

大丈夫。僕たちの腹は決まっている。どんな結果になっても、笑顔で見届けよう。絶対に叱らない。抱っこされて泣きながら入場してきても、壇上で寝転んでも、奇声をあげても、途中舞台裏に引っ込んでも。そう誓いあい、僕と嫁さんは会場の体育館に移動した。僕は前方の席、嫁さんは後方の席。絶対に笑顔で見届けたい僕の希望だった。

 

それからしばらくして、卒園式が始まった。いつもと違う厳かな雰囲気。こりゃ大人でも緊張するな。長男よ。一緒に、がんばろう。気づけば僕もあのお祈りポーズをしていた。

「卒園生が入場します。」ついにアナウンスが流れ、クラシック音楽の中、年長のみんなが先生に続き入場してくる。泣き声も奇声も聞こえない。先生に抱っこされている子もいない。

長男は、しっかりみんなと同じように入場してきた。ついさっきとは別人だった。落ち着いた表情だ。途中、長男と僕の目が合った。長男は少し、はにかんだ。

その姿を見て、早くも僕は涙をこらえられなかった。

 

式が始まった。ガサガサキョロキョロ、話に聞いていたそんな姿は、微塵もなかった。長男は、他の子と同じように、しっかり座っていた。お祈りポーズをしているのかは、分からなかったけど。

でも途中、ソワソワしはじめ、僕を振り返る場面もあった。僕は、マスクを取り、笑顔であのお祈りポーズを見せた。長男は微笑み、また前を向いた。

いよいよ卒業証書授与。前日壇上で寝転んでしまった最大の難関。不測の事態に備え、各ポイントで先生がスタンバイしてくれていると聞いていた。それに加え保護者にも仕事があるようだ。壇上で卒業証書を受け取った子供達から、保護者がその証書と花を受け取る演出らしい。泣かせる気満々の心憎い演出。前列に座っていた僕が行くことに。

長男の番。自分で席を立つ。列に並ぶ。壇上に上がる。きをつけしてこちらを向いて待つ。保護者の列に並ぶ僕は、長男の行動の各要素をどきどき分解していた。一つ一つ出来た事実を確認していた。今のところ完璧だ。

そしてついに卒業証書授与。園長先生から証書を受け取る。「ありがとうございます!」と元気に返事するところだが、返事がない。沈黙が続く。固唾を飲んで見守る。園長先生と長男が何やら話している。どうやらとても小さな声で「ありがとうございます」を言えたようだ。

お礼をする。寝転ぶな寝転ぶな寝転ぶな。そんな僕たち先生たちの祈りが通じたのか、彼は寝転ばず、そのまましっかり歩き、ギャラリーにも一礼をして、壇上を降りた。先生の助けを借りることは、一度もなかった。

列で待っていた僕は、溢れる涙を拭うこともしなかった。そこに長男がやってきた。慌てて涙を拭う。間違って僕をスルーしようとしたのはご愛嬌。長男は小さな声で恥ずかしそうに「ありがとう」といい、もらった卒業証書と一輪の花を渡してくれた。「えらかったな。よくやったな」そう声をかけ、頭を撫でた。

フィナーレの歌。前を向いている卒園生たちが語り始めた。「ぼくたち、わたしたちは、そつえんします」そして涙腺崩壊ソング「にじ~きっと明日はいい天気」を歌う。息子の表情は分からないが、背中はしっかりしている。

歌い終えると、卒園生たちがくるっと私たちの方を向いた。そして話し始めた。「おとうさん、おかあさん、いままでそだててくれてありがとうございました…」そして涙腺崩壊卒園ソング「おおきくなったよ」を歌い始めた。

僕からは、長男の表情がはっきり見えた。生活発表会のときは、歌が全然できなかった長男。集団行動が大の苦手だった長男。その彼が、みんなと一緒に、しっかり口を開けて歌っていた。ときおり笑顔も見せていた。

この幼稚園に入園して4年。いつもいつも、発表会では一人だけ泣いたり寝転んだりだった。年々他の子との差は広がり、正直いつも惨めで、自閉症スペクトラムという病名が重くのしかかり、参観がしんどくなった時期もあった。年長に上がる前は、真剣に転園も考えた。それでも幼稚園と息子を信じ、この幼稚園に最後までお世話になることを決めた。年長なのに進級式ではギャン泣きし、おむつは途中まで外れず、参観も生活発表会も散々だった。5者面談もした。療育にも散々通った。歌を聴きながら、そんな想い出が蘇った。

そんな長男が、最後の最後に見せてくれた、最高の姿。土壇場でかっ飛ばした逆転サヨナラホームラン。周りの保護者同様、いや多分それ以上に、驚きと嬉しさと感動が涙になって溢れ、止まらなかった。きっと嫁さんも同じだっただろう。

 

卒園式は大成功だった。いろんな先生や友達に挨拶をし、最後は先生たちが作ってくれた花道を通る。長男ちゃーん!よく頑張ったね!そう泣いてくれる加配の先生方もいた。花道の最後にいた園長先生は、僕の腕をつかみ、わざわざ花道から離れ、目を潤ませて言ってくれた。「長男くん、今まででいちばん、落ち着いてましたよ。本当に、凄い!素晴らしいです」僕たちは最敬礼で感謝を伝えた。足りない分は、幼稚園に手紙を書こうと思う。この幼稚園を選んで、信じて、本当によかったです。自分も親として、人として、子供に成長させてもらえました。本当にありがとうございました。そう伝えたい。

幼稚園を出た。「がんばった」「うた、できた」そう嬉しそうに話す長男の顔は、朝とは見違えるように逞しく見えた。たった一日、たった一度の成功体験で、人はここまで変わるのかと驚いた。

長男は、大きな壁を一つ、乗り越えたのだ。

小学校に行っても、いろんなことがあるだろう。でも長男のペースで、いろんなことに楽しんで挑戦していってほしい。パパももっと成長しないとな。

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ドキドキスッキリ五者面談

先週、長男の件で、幼稚園に呼び出された。

参考:「生活発表会でやらかした自閉症スペクトラムの長男が家で意地を見せた件で、嫁さんの代わりに幼稚園に手紙を書いた」

https://blueeleson.hatenablog.com/entry/seikatsuhappyo_nightmare_and_impression

園長先生、担任の先生、加配の先生と、僕たち夫妻の五者面談になった。園長先生はこの幼稚園一筋、百戦錬磨のスーパーウーマン。担任の若い男性の先生はよく知っていたが、加配の若い女性の先生とは初めてお会いした。

最初に聞かれたのは、僕が送りつけたメール(上記参照)について。聞かれて当然。メールから2週間。頭を冷やし整理した気持ちを話した。

「まず、突然あんなメールを送りつけ、驚かせてしまい、申し訳ありませんでした。当時は腹立たしいやら情けないやら、嬉しいやら悔しいやらで、頭に血が上ってしまってました。あれから頭を冷やし、生活発表会での長男の行動は、極度の緊張や不安から来るものなのだろうと思うに至りました。次の卒園式ではちゃんとしないとぶっ飛ばす、メールではそのようなことを言いましたが、撤回します。何があっても、どんな姿でも、絶対に長男を叱らないと決めました…」

園長先生の表情がパッと明るくなった気がした。そして微笑んで仰った。

「お父さまは、正直な方ですね」

 

それからたくさんのことを話した。園長先生は、先生方や僕達にも意見を求めながら、終始リードしお話してくれた。

胸に刻んでおくため、以下ダイジェストで書き記しておきます。

 

仰るとおり、○○くんは、こだわりが強く、ルーティンが崩れたり、初めての場所が苦手な印象です。生活発表会などで、手足をバタバタさせたり、突拍子もない行動をとるのは、初めての場所、慣れない環境で、不安だから。自分の存在を確かめようとしてるからだと思います。

(私もとても緊張しいなので、気持ちはわかるつもりです…)

そうなんですね。○○くんが緊張しなくなるすべ、緊張を抑えられる武器を、○○くんと一緒に探して見つけていかれてはいかがでしょう。お父さまと○○くんとはもちろん違うので、お父さまと同じやり方そのままというわけにはいきませんが。

その際、あれやれこれやれと「指示」するのではなく、たとえばこれはどうかなという「提案」のスタイルが良いと思いますね。

 

生活発表会のプログラムでいいますと、太鼓は一見難しいですが、その場に立ってしまえば自分だけで完結します。一方でセリフ劇や歌は、立ち回りなど、他人との関係なしでは出来ません。○○くんはたしかに後者が苦手な印象がありますね。でも彼なりに一生懸命頑張っていたと思います。

お父さまのお気持ち、私も痛いほど分かります。親ですからね。

次の卒園式では、できないことに目は行きますけど、出来たことを分解抽出し、出来たという事実を認めて、褒めてあげましょう。

頭ごなしに叱ってしまうと、幼少期にしか培われない自己肯定感が育ちません。

一方で、出来てないのに何でもかんでも褒めるのも良くないです。もしご自身がされたらどう思われますか?(きちんと見てくれてないんだ、馬鹿にされてる、と思いますね…)でしょ?笑

 

(私自身、子供の頃は厳しくされた方が、何くそと反骨精神で頑張れる…時もありました)

今の言い方、最高です!

頑張れる「時もあった」んですよね。おそらく、「頑張れない」「くじけてしまった」ことも沢山おありだったと思うんです…(ここで泣きそうになるが堪える)とはいえ、お父さまの厳しさは時に必要です。お母さまの優しさと、どちらが欠けても○○くんにはダメなんです。

 

お父さまは、○○くんと同じ緊張しいだということで、お気持ちもお分かりになる部分が多いと思います。彼の一番の理解者になってあげてほしいです…

 

気がつくと、2時間がたっていた。園児用の椅子に座っていたけど、尻の痛みも忘れていた。本当に貴重な機会だった。担任の若い男性の先生は、最後に「ほっとしました」と笑った。加配の先生も、たくさん息子の様子をニコニコ話してくれた。そして園長先生は、「お父さまとお話しできて本当に良かったです。残り少ないですけど、今まで以上に心を込めて○○くんをみることができます」そう仰ってくれた。ご心配をおかけしました。

頭では分かってるつもりだった。でも親としては、なかなか実行できない。そんな葛藤の中でも、この日いただいた気づきや言葉は、しっかりと肝に銘じていこうと思う。

運命の卒園式まで、あと一週間を切った。長男はどんな姿を見せてくれるのだろうか。期待と不安を楽しみたいと思う。そして当日は、絶対に叱らない。出来た事実を見つけ出して、認めて褒めてあげようと思う。泣かないぞ。

追悼 鳥山明先生

鳥山明先生が急逝された。68歳。あまりにも早すぎる。

衝撃のニュースから一夜明けたが、ショックと寂しさは今も、心の中でじわじわ広がっている。

世界中の方々と同様、僕の少年・青春時代は、鳥山明先生の作品と共にあった。

アラレちゃん、ドラゴンボールを見始めたのは幼稚園のとき。小学校時代はドラゴンボールZに夢中。うちはテレビが19時半までしか観られなかった。しかも野球中継が多かった。そんな中、毎週水曜日、19時からの25分間は、至福のひとときだった。翌日の木曜日はいつも、小学校でドラゴンボールの話で持ちきりだった。ピッコロさんが悟飯を庇い涙を流しながら死んだ時は、僕も一緒に泣いた。ドラゴンボールの数ある感動シーンから一つ選べと言われたらこのシーンになる。僕の最推しは今でもピッコロさんだ。ほざけ!

(↓「ピッコロさんのダンディズムについて」 大好きな記事です)

https://manba.co.jp/manba_magazines/6627

カメハメ波や魔貫光殺砲の真似をし、悟空やピッコロさん達を描こうとするも自分に絵の才能がないことを呪い、ロートこどもソフトの目薬(ドラゴンケース入り)を親にねだり、台風が近づくと上半身裸で外に飛び出し気を溜める真似をして叱られる。世界中のどこにでもいる、ドラゴンボール大好きな頭からっぽの子供だった。

ドラゴンボールに加え、ドラゴンクエストにもどハマりしていた当時の僕にとって、鳥山明先生のイラストを見ない日は無かった。大げさでなく、一日たりとも無かったと思う。青春時代の不安定で未熟な僕は、一体どれほど、鳥山明先生の漫画、イラスト、ゲームに救われただろう。

頭からっぽの方が夢詰め込める。「落ちこぼれでも必死で努力すれば、エリートを超えることがあるかもよ」という悟空の言葉を胸に、修行(受験勉強)に明け暮れ、頭からっぽのまま大学生になった僕は、すぐさま髪を金色に染めた。驚くほど似合ってなかったが、気持ちはスーパーサイヤ人だった。この世はでっかい宝島、そうさ今こそアドベンチャー。そのはずだった。でも空っぽの頭に詰め込んだはずの夢は破れ、汚い花火となった。スーパーサイヤ人なんてなれなかった。普通のサラリーマンになってからも、ドラゴンボールの数々の名言、名シーンは、胸に刻まれている。

いつしか僕もおじさんになり、仕事も家庭も、毎日色んなハチャメチャが押し寄せてくる。頭の中は悩み事でいっぱいだ。でも、泣いてる場合じゃない。夢を詰め込めるスペースだけは、頭と心に確保しておきたい。

ワクワクを100倍にして、パーティの主役になろう。夢中になれるものが、いつか君、いや僕を、すげぇやつにするんだから。何が起きても気分はへのへのカッパ。ドラゴンボールは主題歌も素晴らしいのだ。

言うまでもなく、ドラゴンボールは、ポジティブなエネルギーに溢れた、少年漫画の世界歴代最高傑作。それに加え、国民的RPGのドラゴンクエスト。アラレちゃん。クロノ・トリガー。鳥山明先生の作品が、どれだけ僕らに力をくれ、どれだけ世界の中で日本のイメージを向上させてくれただろう。国民栄誉賞、いやあらゆる勲章でも足りない。でもそんな名誉は鳥山明先生には必要なかったのだろう。一生涯、超一流のクリエイターであり続けた。あまりにもカッコ良すぎる。世界一の漫画家。デザイナー。天才。どんな言葉でも足りない。敢えて言うなら、月並みだけど、神さま。そうとしか言えない。

 

鳥山明先生。

心よりありがとうございました。

謹んでご冥福をお祈り致します。

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https://x.com/waraikatahohoho/status/1296301798458658816?s=46&t=L00dH5WJdy6mZORetCJWYw

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https://iprosi.com.mx/jucuhocefetoda3124

 

束の間のナギ節

手術から三週間弱。嫁さんの調子はだいぶ良くなった。左腕も徐々に使えるようになり、メンタルも安定してきた。がん前と同じ、なんてことはありえないんだけど、とても落ち着いている。むしろ逞しくなったように見える。三月に入り、仕事に復帰したことには驚いた。在宅なので通勤不要とはいえ凄い。来週、術後一ヶ月検診で治療の方針が決まる。おそらく抗がん剤治療になる。嫁さんにとって、しんどい時間が続くだろう。仕事も辞めることになるかもしれない。僕も子供の送迎対応のため、時差出勤をさせてもらうことになるだろう。

今はそれまでの束の間の平和な時間。FF10でいうナギ節。来たる新たなシンに備えよう。

 

先週泊まりに来た、なま○げとゾ○マ…じゃなかった義理両親も、機嫌良く帰っていった。

帰り際、お義母さんは見たこともないようなニコニコ顔で、また来るわねー!と言ってくれた。暫くはご遠慮します…との言葉を飲み込み、もちろん!いつでもいらして下さい!と精一杯の笑顔で応えた。よかったよかった。

 

長男の幼稚園の面談もあった。2時間にわたったが、濃密なひとときだった。今もなお、園長先生の言葉を反芻している。沢山の気づきを得られた、貴重な面談だった。それに関してはまた記事に書きたいと思う。というかこの記事の前にそれを書こうと思っていた。

 

しかし、恥ずかしながら、先日、ダウンしてしまった。オーバーフローしてたのか、ふっと気が抜けたのか。熱はないが、月曜朝は頭と身体が重すぎて、起き上がれなかった。先週から再開した仕事にとどめを刺された格好だ。いつもなら何でもないストレスレベルの内容だけど、弱ってる身には、グサっと刺さってしまったのかな。子供達を幼稚園に送り届け、それから夕方まで寝てた。ピアノ弾きたい、文章書きたい、家のこと、やりたいことやるべきことが山ほどある。それでもひたすら爆睡した。勿体無いけど、必要な時間だったんだろう。

このまま次の日も行けないのではないか。そんなモヤモヤの中、何とか布団から這い出て、雨の中何とか出勤し、何とか小さな仕事を少し進め、何とかキラマや同僚と話す。それだけしかしてないけど、何とか気持ちを上げることができた。

今日も雨。憂鬱。頭痛。でも行かないと。

とにかく会社に行けばいい。行けば何とかなるのだから。社畜万歳。

せっかくのナギ節だが、家で寝てるわけにはいかない。次のシン予備軍はあちこちにいるし、幼稚園を嫌がる子供達の前でみっともない姿は見せられないからね。

 

 

なまはげお義母さんは神の使いだった

前記事

https://blueeleson.hatenablog.com/entry/2024/02/26/200845

昨夜21時、おつまみを手に意を決して帰宅。なまh…じゃなかった義理のお母さんが迎えてくれた。「ゾウくんお疲れ様〜!」とニコニコ。おかしい。数年前お会いしたときと全然違う。嫁さんも弱気だった昨夜とは違い、打って変わって元気そう。子供たちは既に、「もうひとつのじいじばあば」に懐いていた。

ビールを買ってきたよというゾーm…じゃなかった義理のお父さんは、既に寝ていた。聞くと、夕方から疲れたと言い、19時ごろには寝てしまったらしい。娘を心配して、岐阜から車を飛ばし、元気そうな顔を見て、ホッとしたのだろう。楽しみにしてくれていたビール対決は明日に持ち越し。

お義母さんは、少し話したあと、じゃあおやすみ〜と、すぐ寝てしまった。まずい、何か変なことしたかな。ブログがばれたかな。普段から早寝早起きで、20時前には寝て、4時過ぎには起きていると聞き、一安心。

晩ご飯は、最近義実家の家庭菜園で収穫した野菜づくしのヘルシーメニュー。ネギベーコンと爆量ブロッコリー、美味しかったです。皿は洗わなくていいよと言ってもらったけど、物音を立てずこっそり洗い、いつもやってるアピール。

その後2階の寝室へ。子供達を寝かしつけた後、嫁さんと話。久々に親子水入らずで話せたようで、メンタルが超回復していた。親バフ凄い。僕のことも言ってくれてたみたい。ありがたいけど、できれば直接一言もらえたら嬉しいんだけど、それは欲しがりすぎ。ともかく久々にゆっくり眠れそうだ。

と思ったら、3時過ぎに目覚めた。1階から義両親の物音がするわけではない。でもなんだか落ち着かない。

 

そして6時過ぎに1階へ。お義母さんが朝ごはんを作っていた。

おはようございます。塩胡椒はどこ?ここですよ。お義父さんは大丈夫ですか?大丈夫よありがとう。朝ごはんは食べないの?はい、食べると途中でお腹が痛くなりますので、会社で食べるんです。そうなの?面白いわね。

そんなたわいの無い会話を交わした後、玉子焼きを焼いていたお義母さんが、ポツリと言った。

「ゾウくん、娘を看てくれて、ありがとうね」

いえいえ、とんでもないですよ。じゃあ、行ってきます。

僕はいつもより一本早い電車に乗った。なんとなく家に居づらかったのもある。寒いし、とにかく眠い。でも気持ちは晴れ晴れしている。気がつくと僕もメンタルバフをもらっていたみたいだ。

なまはげは怖い顔をしてるけど、怠け心や厄など悪いモノから家や子供達を守ってくれる、神の使いなのだ。なまはげとか言ってごめんなさい。ばれたら消されます。

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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AA%E3%81%BE%E3%81%AF%E3%81%92

 

今日は午後休を取り、夕方の幼稚園四者面談。長男の件で↓

https://blueeleson.hatenablog.com/entry/seikatsuhappyo_nightmare_and_impression

今となっては、正直どうでもいい。けどもいい機会なのでしっかり話を聞いてきたい。

その夜は、いよいよお義父さんとのビール対決。決して酔えないビールだと思ってたけど、少しは楽しく酔えそうだ。ゾーマも味方になってくれれば、とても心強いだろうから。

 

会社復帰初日、ゾーマ襲来

今日は久々の出勤だった。ただでさえ憂鬱な月曜日の出勤。嫁さん看病でファミサポ休暇を貰ってたのでトータル12日間の休み明け。看病家事子守から束の間の解放。ようやく会社に行ける喜び。

そんな喜び、あるわけ無い。いつ何時も、働きたくない。会社で待ちかまえているのは、爆発寸前に膨れ上がった仕事と、キラーマシンとサボりジジイ。だけど満員電車の中で、ここ12日間を軽く振り返り、まずはここまで来れた、とりあえず今日を乗り切るぞと自分を鼓舞する。

キラマは優しかった。ジジイは休んでた。同僚マッスルは面倒くさかった。なんだかとても疲れた。まあいいや、今日だけは早く帰ろう。しかし、帰宅の足が重い。

 

会社にも居たくない。でも家にはもっと帰りたくない。その理由はただ一つ。

今日から嫁さんのご両親が、我が家にいらしているからだ。

大人しく優しそうだけどフルマラソン2時間44分の化け物お義父さんと、秋田のなま○げにそっくりな豪快豪傑お義母さん。

前記事で両親をジョーカーと書いたが、正直レベルが違いすぎる。カンダタとゾーマくらい違う。

 

10数年前、初めて挨拶した時、お義母さんは「だから農家の長男はダメって言ったのよ」と温かい言葉をかけてくれた。第一印象って大切ですよね。

結婚が決まった時、自分のオカンとお義母さんはピリピリ険悪な雰囲気に。阿修羅となまはげに挟まれ、神経をすり減らした僕たちは揉め事が絶えず、婚約を解消。なのにどういうわけか寄りを戻して結婚。なぜ敢えてイバラの地雷源を突き進むのかと、今でも当時の自分を小一時間問い詰めたい。そこに愛はあるんか。愛など一瞬で吹き飛ぶんやで。寄りを戻す報告のとき、嫁さんを庇い阿修羅となまはげから全身に浴びた無数の銃弾は、僕を強くしてくれた。サイヤ人が死にかけると強くなるアレだ。

長男が産まれ、阿修羅もなまはげも一瞬仏になり、束の間のナギ節が訪れたが、お宮参りのやり方でまたも第n次世界大戦が勃発。嫁さんはいつもの様に僕の後ろにサッと隠れ、またも僕は無数の銃弾を浴び続けた。骨も残らないほどに。なまはげ様が襖をピシャッと叩き閉める音を背に、僕は二度と義実家に来るまいと誓った。その後何度か軽く訪問はしたが、ここ数年は足が遠のき、顔も出していなかった。

そんな義両親が、嫁さんの看病で、僕の家にやってくる。しかも三泊。楽しみすぎて吐きそうだ。

帰るも地獄、残るも地獄。ああ、このまま消えてしまいたい。

そんな時、嫁さんからメールが来た。

お義父さんが君の好きなビールを買って、待ってくれてるよ。

最寄駅に到着。

僕は何度も、自分に言い聞かせた。

これはチャンスだ。これまでのしがらみいざこざを解消する、千載一遇のチャンスだと。

この状況を楽しもう。絶対に酔えないビールを、楽しく飲もう。仕事。接待、いやそんな生半可なものじゃない。これは戦争だ。

僕は腹を決め、笑顔の練習をし、自分の頬を両手で叩き、ヨシイクゾウと気合を入れ、ついでに遺書をしたため、お義父さんと飲むためにコンビニでおつまみを買い、家に向かって歩き始めた。

(多分続く)

術後1週間の束の間グルメ。甦る8年前の記憶。

嫁さんの手術から1週間が過ぎた。術後検診と抜歯で病院へ。1週間前ここに来たときは、祈るような気持ちだった。その翌日、全く動けない嫁さんを迎えに来た時は、正直この先どうなるのかと思った。しかし1週間たち、今や信じられないくらいに、嫁さんはだいぶ動けるようになった。リンパを切除した関係で左腕はまだほとんど使えないけど、術後初めて家を出た。

抜歯は問題なく終了。リンパへの転移があったので、乳がんのステージは2になると聞かされた。一般的な生存率は80%とも。しかしもはやステージがどうこうよりも、がん細胞の素性(悪性かどうか、進行が早いかどうか)が大切とのこと。嫁さんには悲壮感はないように見えた。

久々に外出して、多少歩けるので、気分転換に美味しいものでも食べようか。ということで、帰り、天王寺に寄り、嫁さんの大好物の五右衛門パスタを食べた。とても美味しかった。気が抜けたのか、僕はハーフ&ハーフだけでは足りず、2軒目の新福菜館でラーメンを決めてしまった。病院の先生に知られると叱られそうやねと笑い合った。

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翌日は一日フリーデー。子供達を幼稚園に送り出した後、僕は嫁さんを近くのIKEAに連れ出した。子供達の椅子を買うのと、気晴らしに。

平日のIKEAはガラガラ。こんなにゆっくり買い物をするなんて何年ぶりだろう。嫁さんは喜んでいた。IKEAで昼飯を食べながら、ふと、結婚して間もない時のことを思い出した。

8年前、籍を入れ、慣れ親しんだ東海地方から馴染みの無い大阪にやってきた嫁さん。引越し直後に来たのがこのIKEAだった。当時の写真を見返すと、ホームシックや実家同士の揉め事や不安のせいだろう、嫁さんは新婚とは思えない沈んだ表情をしていた。実際揉め事や喧嘩も沢山あった。さらに子供が産まれてからは、子育てのストレスや不眠が続いていた。

病院の先生が言っていた。がんは生活習慣病。食事、睡眠、ストレスに注意して下さいと。

もしかしたら、ここ数年間で、嫁さんはストレスや不眠を蓄積し、今回乳がんになってしまったのかな。ふとそんな考えが脳裏に浮かんだ。勿論ノー根拠。だけどなんだか申し訳なくて、思わず言った。

今まで苦労をかけた。悪かったよ。

そんなことないよ。

嫁さんはそう笑った。少なくとも8年前のあの写真よりもいい笑顔にみえた。

ランチはIKEAで。昨日に引き続きジャンクなフード。病院の先生に怒られるかな。でもたまにはいいさ。ストレスを溜めすぎるよりはマシやできっと。

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明日でいよいよこの看病生活も一旦終わる。月曜からは12日ぶりの職場復帰。早く会社に行きたい。いややっぱり行きたくない。まあ家事子守レベルは少し上がったかな。でも料理は全然できないし、まだ何も終わっていない。課題山積だけど、これからもあせらず一歩一歩、着実に、問題を解決していきたい。

何より、月曜日からやってくるのは、仕事だけじゃない。しばらく会ってなかった、トップオブザジョーカーが家に襲来するのだから。

そう、義理親だ…(多分続く)

 

 

ジョーカーオカンの胃痛治療

この前の日曜日。胃痛が酷すぎて、やむを得ず両親にヘルプを出した。最終手段のジョーカー召喚。これまでのいろんな経緯もあり、極力親には借りを作りたくない。それにオカンの暴走暴言で、凹んでいる嫁さんを刺激したくない。

なので外でご飯と公園に行こうかな。そう思ってるとオカンから電話。「いまスーパーでご飯買ったから!持っていくで!」遅かった。両親は山のような食材と、御見舞金を持ってきてくれた。

寝ている嫁さんへの挨拶、子供達の相手もそこそこに、オカンは台所でご飯の準備を始めた。「これどこ!あれどこ!」実家同様、フルスロットルで動き回るオカン。とにかく、声がでかい。でかすぎる。横で嫁さんが静養してるのに。僕は思わず、何もしなくていいから、座っててくれと言った。オカンは言い放った。

「ええからお前は黙って座っとき!」

 

昼ごはんを食べ、そろそろ子供達と公園に行こうか…と言いかけると、猛スピードで皿を洗っていたオカンが言った。

「ちょっと待て!風呂とトイレ掃除するで!」

大丈夫やで、そこまでしてもらうのは悪いから…と言い終わる前にオカンの大声が返ってきた。

「こんな汚いことして!何しとんのやお前!ちゃんと掃除せなあかんやろ!嫁ちゃんしんどいんやから!」

いやだから胃が痛くて…など突っ込む気にもならない。大声で豪快に笑いながら、凄まじい勢いで風呂トイレを磨くオカン。まるで何かに取り憑かれたかのように。あるいは日頃の鬱憤を全てぶつけるかのように。つい最近膝の半月板を損傷していた66歳の女性の動きではない。呆気に取られている僕とオヤジ。

見る見るうちに、風呂とトイレはピカピカに。凄いなあ。思わずそう言うと、オカンは笑って言った。

「何年主婦やっとると思っとるんや!」

 

掃除が終わり、両親、子供達、僕で近所の公園へ。4月から長男が通う小学校へも下見。その道中で、嫁さんの前では言いにくかった話をした。嫁さんのがんの話。オヤジがコロナになった話。オヤジが兄弟から遺産の揉め事で裁判を起こされた話。だけど実家の引きこもりキチ妹がついに働き始めた話。実家の弱っていた愛犬(12歳)が元気になった話。

相変わらず実家は色々問題ありすぎる。でもいい兆しもある。そんな中、久々に子供に頼りにされて、オカンは張り切ってくれてるのかな。あえていつも以上の元気を出して気合を入れてくれてるのかな。ふとそう思った。オヤジはコロナの後遺症で咳が出てるけど、沢山話してて、なんだか嬉しそうだ。

 

家に帰ってくると、嫁さんの体調機嫌も良くなっていた。家が綺麗になって嬉しそうだ。晩飯はカレーとおかず沢山、嫁さんの大好きなエビフライ。ついでにお願いして、明日の子供達の弁当のおかずも作ってもらった。両親と僕たち家族でワイワイ食べる晩飯。両親を呼んで家で晩御飯を食べるのは、家を建ててから初めてのこと。でも僕がひそかに、ずっとやりたかったこと。子供達もすっかりじいじばあばが好きになったみたいだ。気がつくと僕の胃痛は消えていた。

 

晩飯を食べ、怒涛の勢いで台所を元以上に綺麗にしたオカン達。帰り際、嫁さんにも「大変やけど、気持ちで負けたらあかんで!」と喝を入れていた。僕には「お前は家のことちゃんとしなさいよ!」と叱咤。嫁さんは笑っていた。嫁さんに笑顔が戻った。

 

家を出て車に乗り込む時、オカンは小さな声で言った。

「きけるなよ」

「過労で体調を崩して倒れるな」という意味の和歌山弁が、心に沁みた。

「ありがとう!」僕は子供達たちと両親を見送った。

本当に助かった。ありがとう。そうラインすると、返事が来た。

「いくらでも こんなことなら お安いご用です
私の 唯一の 得意分野です 困ったら 何時でも いってください ちなみに 明日 雨なので 今夜のうちに 洗濯物 取り込んでください…」

 

親の凄みを感じさせられたひとときだった。子供達はずっと「じいじとばあばのとこにいく!」と言っている。嫁さんも喜んでいる。よかった。来週末、子供達だけ連れて実家に帰ろうかな。今度は手土産を持って、ご飯でもご馳走しよう。

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嫁さん帰還。胃痛でダウン。ジョーカー召喚。

2月17日。手術から3日。ついに嫁さんをお迎えにあがることに。子供達二人を車に乗せ、大阪の都市高速を爆走すること1時間。嫁さんのホテルに到着。

ホテルからよろよろと出てきた嫁さんを見つけた子供達。3歳のママっ子の次男は、物凄い勢いでママに突進。心配になるくらいの勢いでママの足に抱きついた。6歳の長男は、恥ずかしがりながらも、嬉しそうにはにかんでママの周りを走り始めた。

たった3日間、されど3日間。短いようで長かった。また家族が揃った。

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これでようやく、第一段階クリア。とはいえ、本来なら術後1週間は入院するところ。まだまだ嫁さんは絶対安静。なのでむしろ、嫁さんが家に帰ってきてからの方が大変に違いない。

あいにく土日は子守。さらに月曜は子供達のお弁当作りというウルトラハードミッション。恥ずかしながら弁当なんて作ったことない。果たして出来るだろうか。その前に自分の体力気力が持つだろうか。正直、だいぶ疲れが溜まっている気がする。

嫁さんを家に迎え入れ、家事子守に奔走し、ふと一息ついた夜。無性に胃が痛い。あーやってしまったかな。これはきつい。明日は日曜。どうしよう。このままではやばい。子供達と約束した公園にも行けなさそうだ。

翌朝。家に帰ってきた嫁さんは、ホッと一息ついたのか、素に戻り、そして凹んでいた。誰とも会いたくない、気を遣いたくないと、塞ぎ込んでいた。一方の僕も胃が相変わらず痛い。僕も嫁さんもイライラしてしまいそう。このままでは。

よし。切り札、いやジョーカーを召喚しよう。

僕は腹を決め、携帯を手にした。

「どないした?」電話口で大声で話す相手は、僕のオカンだ。嫁さんの状況を報告し、僕は言った。

「すまん、ちょっと子守を助けて欲しい」

結婚してから子守のヘルプを出したのは、初めてだった。

「きけた(疲れてしんどくなった)んか。よっしゃ分かった、行くわ」

本当にありがたい。唯一の懸念は、オカンが暴走し、デリカシーのない言葉を嫁さんにポロッと言うかもしれないこと。そのリスクは分かっていたが、背に腹はかえられない。胃の痛みが余計に酷くなった気がした。

(続く)

術後最初の山場は越えた

嫁さんの乳がん手術から二日目。特休三日目。子供達を幼稚園へ送り、嫁さんが静養するホテルへ。今日11時に胸に刺さってるドレン管を抜いてもらう。このドレン管がとても痛いらしく、術後は歩くどころか、自力で座る、寝ることもできなかった嫁さん。こんな状態で退院させるなんてなかなかのスパルタ式。そして果たして今日また病院に行けるのかと心配だった。なんとか痛みに耐えてもらい、タクシーを捕まえ、病院に辿り着くことが出来た。難所クリア。

病院に入ると、手術して下さった院長先生が挨拶に来てくれた。術後の経過は順調です。ありがとうございましたと最敬礼。ドレン管はすぐ抜いてもらい、問題だった痛みもだいぶマシになった模様。嫁さんは自分で座れ、ゆっくりだけど歩けるようになった。すごいぞ。

昼食。ホテルのロビーに隣接するレストラン。嫁さんにとっては、術後はじめて外で食べる食事。

ふと病院の先生の面談を思い出した。がんは生活習慣病。がんを予防し確率を下げることは可能。その中で、術後まもない今、嫁さんの血液検査結果からオススメされた食事。それは卵。チーズ。ナッツ。赤身の肉。そして野菜だった。(あくまで嫁さんの場合)

たまたまホテルの隣のレストランには、なんとそれらをすべて詰め込んだ夢のメニューがあった。

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ローストビーフ丼。あの病院の先生がひそかに監修してるのかな、それくらいドンピシャのメニューに僕達は驚愕。嫁さんの表情もパッと明るくなった。めちゃくちゃ美味しかった。「美味しい。健康が一番だね」嫁さんが言った。こうして椅子に座り、美味しいご飯を食べられる、それがどれだけ幸せなことかと思った。

 

部屋に戻ると、嫁さんが術後の胸を見せてくれた。がんがあった方のトップは無い。手術の傷痕もまだ痛々しい。だけど胸は驚くほど綺麗なままだった。本当に全摘出したのかと聞いたほどだ。嫁さんもびっくりしつつ、とても喜んでいた。本当凄い。神業だ。よかった。この病院を選んで本当に良かったと思った。

身支度を整えたのち、ホテルのAbemaTVで嫁さんの大好きな韓ドラを観た。こうして二人でゆっくりドラマを観るなんて何年振りだろうか。ペントハウスというドラマだった。めちゃくちゃ面白い。ストーリー展開が凄すぎる。すっかりハマってしまった。シーズン3が待ち遠しい。

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四時。幼稚園にお迎えに行かないといけない時間が来た。昨日は身動きできない嫁を残し、後ろ髪を引かれる思いだった。でも今日はなんとか大丈夫そうだ。寝たきりの昨日とは違って少し動けそうだし、韓ドラを見る余裕もあるみたいやしね。

一昨日昨日、手術当日翌日の、しんどかった山場はなんとか越えられたのかな。

この先何回山場が来るかわからないけど、一つ一つ乗り越えていくだけだ。

 

さあ幼稚園のお迎え。子供達は嫁さん不在の異変を何となく察知している模様。なのに叱ったり苦労をかけてしまった。今日は週末。子供達の大好きなくら寿司で前祝い。

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明日はいよいよ、嫁さんが家に帰って来る。僕と子供達の三人で迎えに行く。嫁さん、子供達は、どんな顔をするだろうか。その前に、散らかりまくってる家を、出来る限り掃除しとかないとなあ。

人に優しくしたいなら自分に余裕を持っておく

バレンタイン翌朝。子供達を幼稚園に放り込んですぐ、手術を終えた嫁さんを病院にお迎えに行った。

頑張った嫁さんを、笑顔で迎えよう。感涙感激の再会。なんて事には全くならず。ほぼ全く歩けない嫁さん。術後のドレン管がまだ胸から出ており、とても痛々しい。実際それがとても痛いらしい。笑顔感動の再会などと言ってる場合じゃない。外に連れ出し、タクシーに乗せ、ホテルに移動するのに精一杯。

10時半ごろホテルに到着。自力で動けず、顔面蒼白でロビーに横たわる嫁さんを外国人の観光客達が怪訝そうな顔で見てくる。その中で一人のご婦人が、これを額に塗れ、少し楽になると、塗り薬を渡してくれた。メンソレータム的なスッとする軟膏だった。ちょっと和んだ。怪しい薬を売りつけられるも一瞬でも思った自分を恥じた。サンキューソーマッチ。

チェックインは12時からだったけど、そんな感じでドタバタしてたら、ホテルのご厚意と追加料金で1時間前倒しで部屋に入れてくれた。付き添いの僕も、追加料金で日中部屋に入れてもらえることに。ありがとう本当に助かりました。地獄の沙汰も金次第、なんて言ったら叱られますね。ホテルの方には感謝です。

昨日からほとんど何も食べてない嫁さん。何が食べたいと聞くとハンバーガーと言ったので、梅田のバーガーキングにトコトコ向かう。ヨドバシカメラのストリートピアノが近くにある。一曲弾きたい気持ちを我慢し昼飯調達。帰ると嫁さんは寝ていた。薬が効いたのか。自分だけ食べるわけにはいかん。いつしか僕も寝てしまってた。目覚めたのは15時前。冷え切ったバーガーが心に沁みた。

少し復活した嫁さんといろんな話。めちゃくちゃ長い夜だったよ。夜中、当直の看護師さんが2時間くらいずっと話に付き合ってくれたよ。センチネルの注射がめちゃくちゃ痛かった。麻酔効いてから打って欲しかったなあ。胸はびっくりするくらい綺麗になってたよ。そう笑う余裕も出てきた。僕はチビ達の様子を報告。

一方で不安な話も。リンパ節への転移があったってことなら、ステージは1から2Bになるのかな。もしそうなら生存率は80%と言われたけど。まあ一ヶ月後の検査結果を待たないといけないな。まずは、明日、この痛いドレン管を抜いてもらおう。

そう、まずは明日。いや今。先のことは考えず、目の前の一つ一つをクリアしていく。それに集中しようと思う。

身支度や夜飯朝飯の調達を終え、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出る。チビ達の幼稚園お迎えが待っている。昨日お迎えの順番を間違え長男を激怒させてしまった大失態は繰り返すまい。なんとか無事成功。

ワンオペ子育てってこんなに大変だったのか。こんなにやることあったのか。思うようにはいかない。疲れもたまる。

怒ってはいけない怒ってはいけない怒ってはいけない。怒るな怒るな怒るな。叱るな叱るな叱るな。褒めろ褒めろ褒めろ。笑え笑え笑え。しんどい時に三回心の中で唱える。原元巨人軍監督みたいになってないか心配。

なのにその夜、些細なことで子供達を叱ってしまった。

翌朝も、幼稚園に間に合わなくなると焦って子供達を叱ってしまった。

猛烈自己嫌悪中。自分のみみっちさに情けなくなる。怒るな怒るな怒るな。笑え笑え笑え。

なんとか幼稚園にも間に合い、今は嫁さんのホテルに向かってる。病院やホテルの行き帰りの電車が、貴重なリラックスタイム。ブログやTwitter(X)で、俺頑張ってるアピールを恥ずかしげもなく撒き散らす。ああみっともない。ごめんなさい。でも吐き出させてもらうおかげで助かってます。落ち着いたら、気晴らしにロマサガRSとNIKKEのバレンタインガチャ回そうかな。

少しでも体力メンタルを回復しとかないと。自分に余裕がないと、嫁さん子供達、人に優しくなんて出来ないのだから。