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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

ジョーカーオカンの胃痛治療

この前の日曜日。胃痛が酷すぎて、やむを得ず両親にヘルプを出した。最終手段のジョーカー召喚。これまでのいろんな経緯もあり、極力親には借りを作りたくない。それにオカンの暴走暴言で、凹んでいる嫁さんを刺激したくない。

なので外でご飯と公園に行こうかな。そう思ってるとオカンから電話。「いまスーパーでご飯買ったから!持っていくで!」遅かった。両親は山のような食材と、御見舞金を持ってきてくれた。

寝ている嫁さんへの挨拶、子供達の相手もそこそこに、オカンは台所でご飯の準備を始めた。「これどこ!あれどこ!」実家同様、フルスロットルで動き回るオカン。とにかく、声がでかい。でかすぎる。横で嫁さんが静養してるのに。僕は思わず、何もしなくていいから、座っててくれと言った。オカンは言い放った。

「ええからお前は黙って座っとき!」

 

昼ごはんを食べ、そろそろ子供達と公園に行こうか…と言いかけると、猛スピードで皿を洗っていたオカンが言った。

「ちょっと待て!風呂とトイレ掃除するで!」

大丈夫やで、そこまでしてもらうのは悪いから…と言い終わる前にオカンの大声が返ってきた。

「こんな汚いことして!何しとんのやお前!ちゃんと掃除せなあかんやろ!嫁ちゃんしんどいんやから!」

いやだから胃が痛くて…など突っ込む気にもならない。大声で豪快に笑いながら、凄まじい勢いで風呂トイレを磨くオカン。まるで何かに取り憑かれたかのように。あるいは日頃の鬱憤を全てぶつけるかのように。つい最近膝の半月板を損傷していた66歳の女性の動きではない。呆気に取られている僕とオヤジ。

見る見るうちに、風呂とトイレはピカピカに。凄いなあ。思わずそう言うと、オカンは笑って言った。

「何年主婦やっとると思っとるんや!」

 

掃除が終わり、両親、子供達、僕で近所の公園へ。4月から長男が通う小学校へも下見。その道中で、嫁さんの前では言いにくかった話をした。嫁さんのがんの話。オヤジがコロナになった話。オヤジが兄弟から遺産の揉め事で裁判を起こされた話。だけど実家の引きこもりキチ妹がついに働き始めた話。実家の弱っていた愛犬(12歳)が元気になった話。

相変わらず実家は色々問題ありすぎる。でもいい兆しもある。そんな中、久々に子供に頼りにされて、オカンは張り切ってくれてるのかな。あえていつも以上の元気を出して気合を入れてくれてるのかな。ふとそう思った。オヤジはコロナの後遺症で咳が出てるけど、沢山話してて、なんだか嬉しそうだ。

 

家に帰ってくると、嫁さんの体調機嫌も良くなっていた。家が綺麗になって嬉しそうだ。晩飯はカレーとおかず沢山、嫁さんの大好きなエビフライ。ついでにお願いして、明日の子供達の弁当のおかずも作ってもらった。両親と僕たち家族でワイワイ食べる晩飯。両親を呼んで家で晩御飯を食べるのは、家を建ててから初めてのこと。でも僕がひそかに、ずっとやりたかったこと。子供達もすっかりじいじばあばが好きになったみたいだ。気がつくと僕の胃痛は消えていた。

 

晩飯を食べ、怒涛の勢いで台所を元以上に綺麗にしたオカン達。帰り際、嫁さんにも「大変やけど、気持ちで負けないようにな!」と喝を入れていた。僕には「お前は家のことちゃんとしなさいよ!」と叱咤。嫁さんは笑っていた。嫁さんに笑顔が戻った。

 

家を出て車に乗り込む時、オカンは小さな声で言った。

「きけるなよ」

「過労で体調を崩して倒れるな」という意味の和歌山弁が、心に沁みた。

「ありがとう!」僕は子供達たちと両親を見送った。

本当に助かった。ありがとう。そうラインすると、返事が来た。

「いくらでも こんなことなら お安いご用です
私の 唯一の 得意分野です 困ったら 何時でも いってください ちなみに 明日 雨なので 今夜のうちに 洗濯物 取り込んでください…」

 

親の凄みを感じさせられたひとときだった。子供達はずっと「じいじとばあばのとこにいく!」と言っている。嫁さんも喜んでいる。よかった。来週末、子供達だけ連れて実家に帰ろうかな。今度は手土産を持って、ご飯でもご馳走しよう。

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嫁さん帰還。胃痛でダウン。ジョーカー召喚。

2月17日。手術から3日。ついに嫁さんをお迎えにあがることに。子供達二人を車に乗せ、大阪の都市高速を爆走すること1時間。嫁さんのホテルに到着。

ホテルからよろよろと出てきた嫁さんを見つけた子供達。3歳のママっ子の次男は、物凄い勢いでママに突進。心配になるくらいの勢いでママの足に抱きついた。6歳の長男は、恥ずかしがりながらも、嬉しそうにはにかんでママの周りを走り始めた。

たった3日間、されど3日間。短いようで長かった。また家族が揃った。

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これでようやく、第一段階クリア。とはいえ、本来なら術後1週間は入院するところ。まだまだ嫁さんは絶対安静。なのでむしろ、嫁さんが家に帰ってきてからの方が大変に違いない。

あいにく土日は子守。さらに月曜は子供達のお弁当作りというウルトラハードミッション。恥ずかしながら弁当なんて作ったことない。果たして出来るだろうか。その前に自分の体力気力が持つだろうか。正直、だいぶ疲れが溜まっている気がする。

嫁さんを家に迎え入れ、家事子守に奔走し、ふと一息ついた夜。無性に胃が痛い。あーやってしまったかな。これはきつい。明日は日曜。どうしよう。このままではやばい。子供達と約束した公園にも行けなさそうだ。

翌朝。家に帰ってきた嫁さんは、ホッと一息ついたのか、素に戻り、そして凹んでいた。誰とも会いたくない、気を遣いたくないと、塞ぎ込んでいた。一方の僕も胃が相変わらず痛い。僕も嫁さんもイライラしてしまいそう。このままでは。

よし。切り札、いやジョーカーを召喚しよう。

僕は腹を決め、携帯を手にした。

「どないした?」電話口で大声で話す相手は、僕のオカンだ。嫁さんの状況を報告し、僕は言った。

「すまん、ちょっと子守を助けて欲しい」

結婚してから子守のヘルプを出したのは、初めてだった。

「きけた(疲れてしんどくなった)んか。よっしゃ分かった、行くわ」

本当にありがたい。唯一の懸念は、オカンが暴走し、デリカシーのない言葉を嫁さんにポロッと言うかもしれないこと。そのリスクは分かっていたが、背に腹はかえられない。胃の痛みが余計に酷くなった気がした。

(続く)

術後最初の山場は越えた

嫁さんの乳がん手術から二日目。特休三日目。子供達を幼稚園へ送り、嫁さんが静養するホテルへ。今日11時に胸に刺さってるドレン管を抜いてもらう。このドレン管がとても痛いらしく、術後は歩くどころか、自力で座る、寝ることもできなかった嫁さん。こんな状態で退院させるなんてなかなかのスパルタ式。そして果たして今日また病院に行けるのかと心配だった。なんとか痛みに耐えてもらい、タクシーを捕まえ、病院に辿り着くことが出来た。難所クリア。

病院に入ると、手術して下さった院長先生が挨拶に来てくれた。術後の経過は順調です。ありがとうございましたと最敬礼。ドレン管はすぐ抜いてもらい、問題だった痛みもだいぶマシになった模様。嫁さんは自分で座れ、ゆっくりだけど歩けるようになった。すごいぞ。

昼食。ホテルのロビーに隣接するレストラン。嫁さんにとっては、術後はじめて外で食べる食事。

ふと病院の先生の面談を思い出した。がんは生活習慣病。がんを予防し確率を下げることは可能。その中で、術後まもない今、嫁さんの血液検査結果からオススメされた食事。それは卵。チーズ。ナッツ。赤身の肉。そして野菜だった。(あくまで嫁さんの場合)

たまたまホテルの隣のレストランには、なんとそれらをすべて詰め込んだ夢のメニューがあった。

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ローストビーフ丼。あの病院の先生がひそかに監修してるのかな、それくらいドンピシャのメニューに僕達は驚愕。嫁さんの表情もパッと明るくなった。めちゃくちゃ美味しかった。「美味しい。健康が一番だね」嫁さんが言った。こうして椅子に座り、美味しいご飯を食べられる、それがどれだけ幸せなことかと思った。

 

部屋に戻ると、嫁さんが術後の胸を見せてくれた。がんがあった方のトップは無い。手術の傷痕もまだ痛々しい。だけど胸は驚くほど綺麗なままだった。本当に全摘出したのかと聞いたほどだ。嫁さんもびっくりしつつ、とても喜んでいた。本当凄い。神業だ。よかった。この病院を選んで本当に良かったと思った。

身支度を整えたのち、ホテルのAbemaTVで嫁さんの大好きな韓ドラを観た。こうして二人でゆっくりドラマを観るなんて何年振りだろうか。ペントハウスというドラマだった。めちゃくちゃ面白い。ストーリー展開が凄すぎる。すっかりハマってしまった。シーズン3が待ち遠しい。

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https://abema.app/cX1f

四時。幼稚園にお迎えに行かないといけない時間が来た。昨日は身動きできない嫁を残し、後ろ髪を引かれる思いだった。でも今日はなんとか大丈夫そうだ。寝たきりの昨日とは違って少し動けそうだし、韓ドラを見る余裕もあるみたいやしね。

一昨日昨日、手術当日翌日の、しんどかった山場はなんとか越えられたのかな。

この先何回山場が来るかわからないけど、一つ一つ乗り越えていくだけだ。

 

さあ幼稚園のお迎え。子供達は嫁さん不在の異変を何となく察知している模様。なのに叱ったり苦労をかけてしまった。今日は週末。子供達の大好きなくら寿司で前祝い。

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明日はいよいよ、嫁さんが家に帰って来る。僕と子供達の三人で迎えに行く。嫁さん、子供達は、どんな顔をするだろうか。その前に、散らかりまくってる家を、出来る限り掃除しとかないとなあ。

人に優しくしたいなら自分に余裕を持っておく

バレンタイン翌朝。子供達を幼稚園に放り込んですぐ、手術を終えた嫁さんを病院にお迎えに行った。

頑張った嫁さんを、笑顔で迎えよう。感涙感激の再会。なんて事には全くならず。ほぼ全く歩けない嫁さん。術後のドレン管がまだ胸から出ており、とても痛々しい。実際それがとても痛いらしい。笑顔感動の再会などと言ってる場合じゃない。外に連れ出し、タクシーに乗せ、ホテルに移動するのに精一杯。

10時半ごろホテルに到着。自力で動けず、顔面蒼白でロビーに横たわる嫁さんを外国人の観光客達が怪訝そうな顔で見てくる。その中で一人のご婦人が、これを額に塗れ、少し楽になると、塗り薬を渡してくれた。メンソレータム的なスッとする軟膏だった。ちょっと和んだ。怪しい薬を売りつけられるも一瞬でも思った自分を恥じた。サンキューソーマッチ。

チェックインは12時からだったけど、そんな感じでドタバタしてたら、ホテルのご厚意と追加料金で1時間前倒しで部屋に入れてくれた。付き添いの僕も、追加料金で日中部屋に入れてもらえることに。ありがとう本当に助かりました。地獄の沙汰も金次第、なんて言ったら叱られますね。ホテルの方には感謝です。

昨日からほとんど何も食べてない嫁さん。何が食べたいと聞くとハンバーガーと言ったので、梅田のバーガーキングにトコトコ向かう。ヨドバシカメラのストリートピアノが近くにある。一曲弾きたい気持ちを我慢し昼飯調達。帰ると嫁さんは寝ていた。薬が効いたのか。自分だけ食べるわけにはいかん。いつしか僕も寝てしまってた。目覚めたのは15時前。冷え切ったバーガーが心に沁みた。

少し復活した嫁さんといろんな話。めちゃくちゃ長い夜だったよ。夜中、当直の看護師さんが2時間くらいずっと話に付き合ってくれたよ。センチネルの注射がめちゃくちゃ痛かった。麻酔効いてから打って欲しかったなあ。胸はびっくりするくらい綺麗になってたよ。そう笑う余裕も出てきた。僕はチビ達の様子を報告。

一方で不安な話も。リンパ節への転移があったってことなら、ステージは1から2Bになるのかな。もしそうなら生存率は80%と言われたけど。まあ一ヶ月後の検査結果を待たないといけないな。まずは、明日、この痛いドレン管を抜いてもらおう。

そう、まずは明日。いや今。先のことは考えず、目の前の一つ一つをクリアしていく。それに集中しようと思う。

身支度や夜飯朝飯の調達を終え、後ろ髪を引かれる思いで部屋を出る。チビ達の幼稚園お迎えが待っている。昨日お迎えの順番を間違え長男を激怒させてしまった大失態は繰り返すまい。なんとか無事成功。

ワンオペ子育てってこんなに大変だったのか。こんなにやることあったのか。思うようにはいかない。疲れもたまる。

怒ってはいけない怒ってはいけない怒ってはいけない。怒るな怒るな怒るな。叱るな叱るな叱るな。褒めろ褒めろ褒めろ。笑え笑え笑え。しんどい時に三回心の中で唱える。原元巨人軍監督みたいになってないか心配。

なのにその夜、些細なことで子供達を叱ってしまった。

翌朝も、幼稚園に間に合わなくなると焦って子供達を叱ってしまった。

猛烈自己嫌悪中。自分のみみっちさに情けなくなる。怒るな怒るな怒るな。笑え笑え笑え。

なんとか幼稚園にも間に合い、今は嫁さんのホテルに向かってる。病院やホテルの行き帰りの電車が、貴重なリラックスタイム。ブログやTwitter(X)で、俺頑張ってるアピールを恥ずかしげもなく撒き散らす。ああみっともない。ごめんなさい。でも吐き出させてもらうおかげで助かってます。落ち着いたら、気晴らしにロマサガRSとNIKKEのバレンタインガチャ回そうかな。

少しでも体力メンタルを回復しとかないと。自分に余裕がないと、嫁さん子供達、人に優しくなんて出来ないのだから。

チョコの要らないバレンタイン

2月14日。バレンタイン。いよいよ嫁さんの乳がん手術の日。朝から気持ちが落ち着かないけど、嫁さんはスッキリした顔に見える。胸がなくなるのは寂しいけど、憎きがんともおさらばできる、そんな感じみたい。手術は夕方。

雲一つない絶好の手術日和の中、昼過ぎに病院入り。初診以来の高名な先生と面談。手術の説明のあと、先生は仰った。がんは生活習慣病です。生活習慣の改善でがんのリスクは減らせます。採血結果を詳細に分析解説して頂いた。嫁さんも僕も目から鱗がポロポロ。もっと早く知っておけば。でも今知ることができて良かった。陽の光を浴びる。適度な運動をする。食べ物。やはり全部大切だった。それらをしてなかったわけじゃないんだけど、今後より一層気をつけないとな。

その時嫁さんのお義母さんからメール。ずっと会っていなかった僕にメールをするなんて。娘が心配でたまらないという気持ちが、痛いほど伝わってきた。

いよいよ手術。頑張ってくるねと言い、嫁さんは笑顔で、そして腹を括った顔で、手術室に消えていった。

術後は面会謝絶。携帯電話や通信も不可。次会うのは、退院の翌朝。後ろ髪を引かれながらも、病院を出た。

病院のあるビルを見上げながら祈った。

神様、お医者様。どうか無事手術が終わりますように。転移が見つかりませんように。

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梅田を少しぶらついた後、幼稚園にお迎え。嫁さんがしばらくいないことは子供達にも説明した。6歳の長男、3歳の次男がどこまで理解してるかはわからない。けど、二人はいつになく不安定だった。長男は次男よりも先に自分を迎えにきてくれと泣いた。次男はいつも以上に長男に喧嘩をふっかけた。いつもは楽しんでいる発達支援教室でも、らしくない様子だった。二人とも何か感じているのかも。喧嘩して泣く二人をなだめながら、俺だって泣きたいよという気持ちを押し殺した。

晩飯は、子供達のリクエストでサイゼリヤ。駐車場に着いた時、病院から待ち望んだ電話。 手術は無事終わりました。しかし事前のCT検査では見つからなかったリンパへのがんの転移が手術中見つかりました。そのがんも胸のがんと一緒に切除済とのことだけど、腕を上げにくくなるなどの後遺症が残るかもということだった。

祈りの半分は届き、半分は届かなかった。半分だけでも届いて良かったとは、今は到底思えない。でも見つけて切除頂いたことに感謝。義母にすぐ電話で報告。久々にお話した。うちの親にも報告。その後サイゼリヤとコンビニをハシゴし、ワンオペ育児に忙殺され、なんとか初日を終えた。

早くも疲れた。ワンオペ大変すぎる。幼稚園の準備ってこんなめんどくさかったのか。これを毎日嫁さんはやってたのか。

不安しかない。でも一つ一つ問題を潰しながら進んでいくしかない。

明日朝早速退院。胸にチューブやらが刺さった状態なのにすごい。幼稚園に二人を放り込んだのち病院に駆けつける。そして2、3日、病院近くのホテルで静養してもらう。子供が暴れてチューブが抜けたら大変だから。まずはそのホテルにフラフラの嫁さんを連れて行くのが最大のミッション。

うまくできるかな。不安ばかり。でもせめて僕は笑顔で向かおう。そして心から労おう。この記事を書いてる2月14日の夜中の今この瞬間も、嫁さんは、術後の痛みと闘っているはずだから。

そういや今日はバレンタインだった。いつもなら女性からチョコを渇望する日。でも今年は、チョコなんてなくていい。その代わり、今回の手術でがんが完全に切除され、今後一切再発しませんように。それだけが願い。チョコも欲しいけどねなんでもありません。神様お願いします。

恥と勲章 余計な一言 手術前日

嫁さんと転移無しのプチ祝いをした数日後。どういう流れか、今回の件を友達や知り合いに話すかどうかという話になった。嫁さんは涙ながらに言った。言うわけない。言いたくないし、会いたくない。胸と髪が無くなってしまうなんて、情けない。女にとって恥だと。

いつも僕はつとめて、何も言わず黙って聞き、寄り添うことに徹して来たつもりだった。しかしこの時、うっかり余計なことを言ってしまった。

恥なんかじゃないよと。傷痕は、試練を乗り越えた勲章だと思うよと。

目の前の現実に押しつぶされそうになっている人に、遠い将来の楽観的で他人事な綺麗事をぶつけてしまった。

嫁さんは言った。ごめん、今はそんなことを考えられない。

やってしまった。僕は心から自分を恥じた。何を分かったような事を言ってしまったんだ。気をつけていたはずなのに。一言で全てが瓦解する。謝るしかできなかった。

幸いその禍根は引きずらずに、今日まで過ごしてこれた。いつも通り子供達に振り回され、病気のことを忘れられたのは大きかった。

 

そういや先週末うちの両親がきた。アポなし電撃訪問。嫁さんの様子が気になったらしい。お土産に貰ったケーキは嬉しかった。たまたま嫁さんと長男は不在だった。

親子水入らずとばかりに、オカンは言った。「嫁さん、ステージ1で良かったな」「胸髪無くなっても、命が大切やしな」「人生色々あるぞ、今が正念場や」励ますつもりで言ってくれたのだろうけど、嫁さんがいなくて本当に良かったと思った。余計な一言ばかりで、もはや何が余計じゃないのか分からないレベル。飼い犬が歳で弱ってて心配、膝が痛むけど草むしりには支障無し、そんな余談もまた地雷源。

髪が無くなっても、また生えてくるから…とオカンが言いだした時、横で黙ってた親父がさすがに突っ込んだ。お前もコロナで円形脱毛症になった時、あんなに大騒ぎしてたやろ。それ以上喋るな。人は歳を重ねると、もはやそう簡単には変わらない。そして人は喉元過ぎれば熱さを忘れる生き物だ。

 

明日はいよいよ手術。昼一で病院入りし、夕方の手術に備える。育児ワンオペと仕事の引き継ぎも完了。こんな時に限って大変な仕事が湧いて来たが、周りにお願いしまくり何とか予定通り一週間の特休をゲット。準備万端だ。

手術まで、僕までドキドキソワソワして落ち着かない。手術後はしばらく大変な日々が待っている。しかし嫁さんは僕の何億倍も大変で痛く辛い思いをしている。口は災いの元。疲れた時がピンチの時。より一層、余計な一言に気をつけ、明日もそれ以降も寄り添っていこうと思う。

全然まとまってなくてすいません。頭が疲れてマッスル。

 

手術前のPET-CT検査結果〜女は強い

昨日は午後休を取り、嫁さんと病院に向かった。PET-CTの検査結果を聞くためだ。全身CTで乳がんの転移がないかを調べるもの。もし万が一、骨や肺に転移していたら、その時点で一気にステージ4になる。ガン除去はもはやできなくなると聞いた。まさかそんなことはないだろうという思いに混じる、でも1ヶ月前まさかがんだとは思わなかったでしょという悪魔の声。眠れなかったと言う嫁さんを連れ、景気付けとばかりに大阪マルビル地下街でビフテキ定食をかき込み、病院に向かった。

 

結果は、問題なしだった。転移なし。

ほーっと息がこぼれた。

 

これで転移という敵は倒せた。残る敵は乳がん細胞のみ。

いよいよ来週手術。ミッションは乳がん細胞の除去。今はそれだけに集中だ。

1ヶ月前、胸が無くなってしまうと毎晩泣いていた嫁さんは、「早く切って取って欲しいわ」と豪快に笑って言った。女は強い。強すぎる。

 

手術、術後の痛みを乗り越えた先に待つ懸念は、抗がん剤。抗がん剤投与の要否が決定するのは、手術の1ヶ月後。暫定値(20)では、やるかやらないか微妙なところらしい。抗がん剤治療をすると、全身の毛が全て抜けてしまう。髪の毛も眉毛もまつ毛も。辛い副作用もある。それが3〜6ヶ月続く。長い髪がお気に入りで、月一でマツエクに通うのが気分転換の嫁さんにとっては耐え難いに違いない。

抗がん剤になったら、一歩も外に出ない。1ヶ月前は、そうふさぎ込んでいた嫁さん。ウィッグの話題などは、僕からは口が裂けてもできなかった。だけど今は、再発リスクがあるなら抗がん剤を受ける覚悟ができたと話した。最近は夜な夜なお気に入りのウィッグを探しているらしい。いいのが見つかりそうだと喜んでいた。女は強い、強すぎる(2回目)。

 

今回の結果を受けて、帰り道、僕たちは最寄駅のミスドでプチ打ち上げをした。嫁さんはゴディバコラボの高級ドーナツを奮発。いつもはドーナツを食べない僕も、チョコポンデリングで舌鼓を打ち鳴らした。

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束の間の休息。この後子供たちのお迎えだ。四者面談の日程決めないとな。その夜嫁さんは憑き物が落ちたように眠っていた。

そして今日。また一日頑張ろう。

 

生活発表会でやらかした自閉症スペクトラムの長男が家で意地を見せた件で、嫁さんの代わりに幼稚園に手紙を書いた

先週日曜日。自閉症スペクトラムの長男、幼稚園最後の生活発表会。やらないどころか、一人だけガサガサと動き回り、ダラダラ座り込んだと思うと舞台の袖に引っ込む。目を覆いその場から逃げ出したくなるほどのみっともない醜態。過去最悪の、公開処刑、惨劇の舞台になってしまった。

そして今朝。生活発表会の後にいつも嫁さんがやってる、幼稚園へのお礼のコメント。

コメントを書く気力すらないという嫁さんに代わり、僕が書いた。それを貼り付けさせていただきます。

 

幼稚園の先生の皆様

先日の生活発表会、ありがとうございました。息子のことで迷惑をおかけして申し訳ありません。
会の後、褒めてやって下さいとありがたい言葉を仰って頂きました。しかし、太鼓は頑張っていましたが、あのセリフ劇での態度は、どうしても許せませんでした。
前日、大きな声でセリフを言おうね、言えたらくら寿司で好きなアイスとラーメン食べよう。そう約束していました。
しかし、セリフどころか、ずっとフラフラガサガサ、次男の最年少クラスにも劣る醜態。正直今まで見た中で一番みっともなかった。


どう本人に言おうか考えた末、家に帰り、セリフ劇の動画をテレビ画面で本人に見せました。そして叱りました。

何やこれは。なぜ先生の言うことを聞かないのか。何やってるんだと。
これが自閉症スペクトラムなんだ。言っても理解できないし、出来ない。そう頭で言い聞かせながら、私も止まりませんでした。
泣く息子にヤケクソで言いました。きをつけして、もう一度やってみろ。
すると、息子は泣きながらも、キチンと気をつけして、歌を二曲とも完璧に歌いきったのです。
私も妻も驚きました。そして何とも言えない感情が溢れました。妻は号泣しました。
ちゃんとできるんだ、覚えてたんだと言う喜びと感動。
できるのになぜやらなかったんだという悔しさ。
自閉症スペクトラム、病気のせいなんかじゃなかった。やれば出来るんだ。
なのに、やらなかった。

それを私はめちゃくちゃ叱りました。

一生懸命やって、出来ないのは仕方ない。
だけど、できるのにやらないのは絶対許さない。次やったら家に入れない。先生のいうことをキチンと聞いて、ちゃんとしろ。お前は出来ない子じゃない、出来る子なんだからと。


どこまで言葉が届いたか分かりません。ただ怒られたと言う記憶しかないかもしれません。しかし、(長男)は出来ない子?出来る子?と聞いた時、出来る!と大きな声で即答していたので、少しは響いたかなと思います。約束のくら寿司にも行きました。長男は喜び、ようちえんがんばる!と言いながら、ラーメンとアイスを食べてました。


幼稚園の先生方には、感謝しかありません。入園以来、ずっと感謝しています。教育方針にも、100%賛同致します。全面的に信頼していますし、もうすぐ卒園ですが、この幼稚園にいれて良かったと、心から思っています。


ただ、親、特に父親としては、もっと厳しさが必要だったかなと反省しています。優しさだけでは動かない子には、ある程度の厳しさは必要でした。自分自身厳しく育てられた記憶があるので、なるべく厳しすぎずにと思っていましたが、それが甘やかしに繋がっていたとすれば、申し訳ないです。


最後の舞台は、卒園式です。最後もダメなままなのか。それとも最後にひとかけらでも意地を見せてくれるのか。
これまでずっと、幼稚園でも迷惑かけっぱなしの落ちこぼれでしたが、願わくば最後に意地を見せて欲しいと思っています。期待はしていませんが。


もし幼稚園で相変わらずちゃんとしてなかったら、叱り飛ばして引っ叩いて泣かせても全然問題ありません。どうぞ遠慮なくお願い致します。
こちらでも、やりすぎない程度の厳しさで、本人の自覚を促していきたいと思っています。

引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。


ぞうべい

 

園長、担任、保護者二人の四者面談待ったなし!やーるぞー!

 

 

打ちのめされそうだけど踏ん張りたい

【閲覧注意:ネガティブな愚痴です】

嫁さんが乳がんと分かり2週間がたった。手術日も決まり、上司のエンジェルマシンじゃなかったキラーマシンの助けもあって特休も取得出来そう。嫁さんの気持ちの沈みも、最初に比べると落ち着いてきた気がする。

でも、何をしていても、気分は晴れない。疲れは取れないどころか、ボディーブローのごとく蓄積している。がんという言葉を見聞きするたび、どきっとして、気分がドーンと沈む。だからがんという言葉は、極力避けている。それだけ、がんという言葉の重さに、打ちのめされかけているのかもしれない。がんになってない僕ですらそうだから、嫁さんはもっとずっとしんどいんだろう。

 

いやーうちの嫁さんががんになっちゃってさー。インフルエンザやコロナみたいに、そんな風に笑って言えれば、どれほど楽だろう。でももし仮に告白したところで、きっと相手は困ってしまう。内心、うわ地雷を踏んだとドン引きしつつ、気を遣って何か言ってくれるかもしれない。

でも今の僕には、その言葉を素直に受け止める余裕がない。何を言われても、あんたらには分からんやろうさ、と思ってしまう。黙ってただ聞いててほしい。いや聞かなくてもいい。でも言いたい。こぼしたい。ああ、我ながらなんて面倒くさい奴。だからこうして、ブログに書き、X(Twitter)でこぼしている。気づかれたくないけど、吐き出したい。メンドクサオさんの極み。そんな奴、僕大嫌いなはずなのに。

そして、僕が一番嫌いな言葉を言ってしまいそうになる。

なんで、自分達だけが。

 

せめて、気持ちでは負けないようにしたい。でもふとその言葉が脳裏をよぎると、途端に現実に打ちのめされそうになる。だから最近は何も考えないようにしている。当事者の嫁さんや、小さい子供達に、そんな暗い顔は見せられないから。

 

何か気分転換したい。でも何もできない。ピアノで新曲を覚える気にもならない。愛は勝つを練習しようとしてたけど、あの素晴らしいポジティブが、今は眩しすぎて直視できない。

あれだけハマってたロマサガRSでも、高難度の七英雄に挑む気すら起きず、記憶周回をセットし閉じるだけ。ストーリーとかガチャとか、どうでもよくなってしまった。

NIKKEに至っては、可愛いニケ達の揺れる胸を眺めるたびに自己嫌悪に陥る。嫁さんが乳がんなのに、何を俺は揺れるおっぱいを見て喜んでるんだと。男のサガと言えばそれまでだけど。揺れる胸からは目を背け、揺れる尻をぼーっと眺め続ける日々だ。

そういや会社の新年会兼送別会も、そっとキャンセルした。手術直前だからね。

現実逃避しようにも、ネットの世界は、暗く悲しく、腹の立つニュースで溢れている。見たくないのに、負のパワーに引きずり込まれてしまう。あかん敵の思う壺や。そっ閉じする。

 

そんな時に、体調を崩してた友達が何気なく「検査したけど、とりあえずガンではなかったよ」とか言うのを聞くと、「おーよかったやん!」と言うけど、内心ドーンと落ち込む。それは嬉しいよ。おめでたいよ。でもうるさい俺の前で喋らないでくれとすら思う。でもそんなこと言えないよね。人様の幸運を妬み羨むようになったら人間もおしまいよ。そこだけは死守したい。

 

あかん文章もまとまらない。何だろうこのやりきれない気持ち。ごめんなさい。

 

こういう日もあるさ。とりあえずご飯食べて、温かい風呂に入って、そしてさっさと寝てしまおう。いつもみたいに夜中起きるかもだけど。眠れなかったとしても寝よう。最悪会社で寝ればいいや。サボり爺さんみたいにね。

とにかく、負の嵐が去るのを、じっと耐えて待つしかない。そして回復したら、この馬鹿な記事を見返して、アホやなと鼻で笑いたい。

 

でも、ここで吐き出すことで、少し楽になれました。見て下さった方、気持ちが落ちてしまったらすみません。負の連鎖に巻き込んでしまい申し訳ない。でも読んで頂きありがとうございます。

上も下も、左も右も、後ろも前も見ない。前方足元だけを見て進みます。

エンジェルマシン爆誕

前記事https://blueeleson.hatenablog.com/entry/cancer2

嫁さんの乳がん手術日が決まった。手術翌日にはなんと退院。術後数日は、胸にチューブが刺さったままらしいのに。さすがに僕も何日か休まないといけない。今回の件は、リアル知り合いには誰にも話していない。けど、いよいよ上司のキラーマシンに報告しないといけない…

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嫁さんがん記録2 見えてきた手術内容、スケジュール、そして新たなリスク

前記事https://blueeleson.hatenablog.com/entry/cancer

嫁さんの乳がん確定から1週間。今日は会社を休み、嫁さんと一緒にセカンドオピニオンの病院に行ってきた。

ここ1週間、嫁さんの落ち込みようは激しかった。見たことがないほどに。無理もない。わずか5ヶ月前のN-NOSE(乳がん簡易検査)では陰性、しかも一番安心なA判定だったのだから。それが突然乳がんで胸を切除だなんて。

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嫁さんががんになった

昨年12月のある日。突然「胸にしこりがある気がする」と嫁さんが言い出した。1cmほどのしこり。体調問題なし、自覚症状も無し。念のために近所の病院へ。町医者では設備がないため、大きな病院で改めて検査。マンモグラフィー、MRI、注射で細胞を取る。何度も検査をするなあと思いつつ年が明けた。

2024年の仕事初め頃。前の検査ではうまく細胞が取れなかったと、ぶっとい注射で激痛の中細胞摂取。その時、嫁さんは医者にはじめて伝えられたそうだ。

がんの可能性があります。もしがんなら、胸は全摘出ですと。

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能登半島地震に思うことをダラダラ自分語りと合わせて

※はじめに

この文章で一番言いたいことは、本文最後にございます。それまでは長々と自分語りをしておりますのでご了承頂き、それでも暇だし読んでやるかと言う勇気ある方にご一読頂けますと幸甚です。

 

1995年1月17日。阪神大震災のとき、僕は中学生だった。和歌山の実家は震度4。部屋の箪笥が揺れる音で早朝に目覚めた。ニュースで伝わってくる信じられない惨状。オシャレで綺麗な憧れの街神戸が壊滅的な被害を受けたことにショックを受けた。同時に、自衛隊や消防隊、救助に関わっている方々が物凄く格好良かった。将来、こんなときに人様の役に立てる人間になりたい。そう心に誓ったはずだった。その時は。

 

それから4年後。文系から理系は無理だが理系から文系はいけるかもというふんわりした理由で理系を選んだ僕は、一浪の末奇跡的に防衛医大に受かり、あのとき一瞬抱いた夢に大きく近づくはずだった。だけど受験生活で精神を病んでいた僕には、入学後の鍛錬に耐え人様の役に立つ余力は、もはや無かった。ただ一日も早く楽になりたくて、もっと正直に言うと女の子と遊びたくて、折角の防衛医大を蹴り、元々本命だった別大学の工学部に進学した。我が人生に一片の悔いがあるとすれば、この選択を真っ先に挙げるだろう。

案の定大学で目標を見失い、なんとなく就職に有利そうという理由で進学した大学院を中退。当然就活でも連敗し、なんとか拾ってもらった愛知県の自動車部品会社で、車をカッコよくする樹脂パーツの開発に従事する日々が始まった。車にも樹脂パーツにもそんなに興味はなかったけど、ただ自立するためだけに働いた。勿論余裕はなかった。

 

5年目、仕事にも慣れ、この道でやっていく自信もついてきた2011年3月11日。東日本大震災が起こった。愛知は震度4。工場に移動中だった僕は車を停め、ナビ画面のニュースに釘付けになった。

恐ろしい津波が、高級車も大衆車も何もかもを一緒くたに押し流し、ただの鉄の塊にしていく映像を見た時、途方もない無力感に襲われた。自分は一体何のために仕事をしているんだろう。クルマを多少カッコよくしたところで、一体何の意味があるんだろうか。自分の仕事に価値なんてないんじゃないか。連日報道される自衛隊や消防隊の方々。大金を寄付する著名人の方々。そんな眩しい姿を、尊敬しつつも正視できない複雑な気持ち。かつて軍医殿への道を蹴ったことを後悔し、何もできない自分の非力さを恥じた。

どんな仕事であれ、大抵は誰かの役に立っている。世界は誰かの仕事で出来ている。頭では分かっていても、当時は素直にそう思えなかった。もっと人様の役に立ちたい。困っている人を助けたい。そんな都合のいい感情が、まるで期間限定イベントのように甦ってきた。

その一方で、何だかんだで言い訳をして、復興のボランティアにも行かず、結局は会社とコンビニで申し訳程度になけなしの募金をしただけだった。ドヤ顔で復興支援と吹聴するのは承認欲求丸出しみたいでなんだか気恥ずかしかったのもある。結局、当時の僕には、遠くの大災害よりも目の前の飲み会の方が大切だった。まだまだ自分のことで精一杯で、人様のことなんて考えられなかった。むしろ自分を助けて欲しいとすら思っていたかもしれない。

普段は何も考えて無いくせに、災害が起こった時だけ急に正義感に取り憑かれる悪癖。大体、自衛隊や消防隊、医療従事者などのプロフェッショナルの皆様は、普段からこういう時に備え、日々鍛錬されている。ヒーローには、安易にはなれないのだ。そんな気持ちなんて、結局は都合の良い承認欲求、自己満足に過ぎない。今思えば、そんな半端な気持ちで被災地に行き、足手まといや邪魔で迷惑をかけなくて良かったと思う。

 

でも、当時感じた虚無感は、転職するきっかけの一つになった。まあ他にも彼女と婚約破棄したりとか、色々あったんだけど。

そういえば震災の二年後、転職前の有休消化中に、はじめての東北を車で一人旅した。福島、仙台、岩手。心の中では勝手に復興支援のつもりだった。被災地に行き手を合わせた。原発10キロ地点にも行った。皆様は本当に温かかった。牛タンと海の幸、喜多方ラーメンは最高だった。

 

東日本大震災の2年後、農業機械メーカーに転職。車のデコレーションよりも、何というかもっと生活に必要不可欠な、直接役に立つものを作りたいと思ったから。でも実はそれは建前で、本音は場所と給料だった。

現実は、異業種への転職で、慣れるのに必死。役に立つものを作っている実感なんて無い。訳の分からない機械の設計開発、品質問題対応。ここでもまた自分のことで精一杯。人様の役に立ちたいどころか、むしろ自分を助けて欲しい。性懲りも無くまたそんなことを思う日々だった。

 

しかし、辛い仕事にも何とか慣れ、かつて婚約破棄した彼女とよりを戻して結婚し、二人の男の子ができ、気づけば四十路を越えていた。相変わらず心にも財布にも余裕はない。誰かに助けて欲しいのは相変わらず。だけど歳を重ね色々経験し、いろんな人のおかげで、僕もそれなりに大人になれたのかもしれない。過去を後悔したりもしなくなった。というより後悔してる暇が無い。今を全力で生きるしかないのだと。

 

2024年1月1日。能登半島で大地震が起こった。ニュースで伝えられる惨状。帰省して家族みんなで正月を過ごしていた方も多かっただろう。そんな人達を突然無慈悲に襲い、日常を奪い去った恐ろしい大災害。ニュースで報じられる被災地の惨状。今も寒く辛い思いをされている方々を想うと、胸が張り裂けそうになった。

同時に焦りも覚えた。お前はまた、何もしないのかと。思うだけ、言うだけかと。

現場で救助活動に当たっているプロフェッショナルの方々には、心の底から敬意を表する。被災地のことはプロフェッショナルの方々に任せよう。素人が行っても邪魔なだけ。自分は今自分ができることを一生懸命するしかない。自分や家族すら助けられない人が、どうして沢山の被災者を助けられるというのか。でも、どうしても気になってしまう。

大災害発生の翌日。僕は、なけなしの募金をした。なけなしと言っても、飲み会が2,3回できる額。小遣い月3万、住宅ローン残金4600万の僕にとってはなけなしでは無い。昔なら出せなかっただろう。大体募金なんて何に使われるか分からない、そんなことよりローン返そう、飲みたいし、とか言って。でもせずにはいられなかった。

そもそも、俺は募金したぞと公言するのも嫌だった。でもやらない善よりやる偽善。勿論良いふうに思われたいけど、今は正直どう思われてもいい。何より、僕みたいなポンコツでも、ほんのわずかながら、被災地復興の力になれたことがとても嬉しい。被災地のためだけじゃなく、自分のためにもなるお金。これで自分も自分のやることに集中する。だけど、決して忘れない。他の災害と同じように、自分が参らない程度にだけど、心の中に刻み続ける。

 

能登半島地震で被害に遭われた皆様。心よりお見舞い申し上げます。犠牲になってしまった方々。被災地を助けようとして飛行機事故で殉職された海保の5名の皆様。心よりお悔やみ申し上げます。

寒い中、大変なご苦労をなされていると思いますが、災害救助のプロフェッショナル達が沢山おられます。いつか必ず、復興します。皆様の日常、平穏が、一日でも早く戻りますよう、心から願っています。願うことしかできませんが、決して忘れず願います。

落ち着いたら、また遊びに行きます。10年前のように、なぎさドライブウェイを走りに行きます。

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2024年激動の年明け

2024年。あけました。

大晦日、実家に帰り、紅白を見る間も無く家事子守に忙殺される。ようやく子供達を寝かしつけた後は、両親と僕の三人で、引きこもり&障害者年金不正受給疑惑&兄の僕を訴訟未遂の三拍子揃ったクソ妹問題を語りあっているうちに年が明けていた。三時間、気持ちを全て吐き出しつつ冷静に話し合えた。僕なりに粘り強く説得を続けた。要するにクソ妹は病気ではない。仮に病気だとしても、治したくはない。文句を垂れながら、結局は実家で働かず引きこもっていたいのだと。楽だしね。

そんなクソ妹は今更簡単には変わらない。だからまずは両親、特にクソ妹にとても甘い母親に現実を受け入れてもらうため、両親のメンタルケアのためといい、然るべき第三者と両親が相談すること、そして年明けクソ妹のブラットパッチの手術を何度もしてる医師と両親が(クソ妹抜きで)面談することで合意できた。かなりの前進。こんな心穏やかな正月は何年振りだろうか。毎年明け方まで家族で喧嘩してたからね。元旦の夜、自分の家に帰ってきて、そんな感慨にふける。

しかし心身のダメージはやはり蓄積されていたようで、年明け早々体調を崩してしまった。風邪だ。ぼちぼち治さないと。

そんな中、衝撃のニュースが立て続けに飛び込んできた。能登半島の大地震と羽田での飛行機衝突事故。

地震のニュースは衝撃的だった。車を運転中だったけど、いきなりナビ画面が緊急地震速報に切り替わり、大津波警報です今すぐ逃げて下さいと言う鬼気迫るアナウンス。伝わってくる惨状。なんで元旦にこんなことが。正月気分は一瞬で吹き飛んだ。

石川の実家に帰省してお正月を過ごしていた方もきっと多かっただろう。そんな人達を突然情け容赦なく襲った大地震。寒い中大変な思いをされている方々を思うと、胸が締めつけられる気がした。石川には知り合いも住んでいた。家計となけなしの小遣いから、なけなしだけどできる限りのMAXで、寄付をさせて頂いた。まだまだ被害は広がるばかりだけど、1日も早く皆様に平穏な日常が戻りますように。

そして航空機事故。あれだけの大事故にも関わらず、JAL機は全員脱出。クルーが凄すぎる。尊敬しかない。日頃の鍛錬の賜物。

一方で海保機では、5名の尊い人命が犠牲になってしまった。機長も大怪我。能登半島地震の支援に向かう途中だったとのこと。つらすぎる。地震がなければ起こらなかった事故、失われなかった命。

原因はまだ分からない。単純なヒューマンエラーなのかもしれないけど、全てをヒューマンエラーのせいにするのではなく、限りなく事故が起きないような仕組み作りを再構築しないといけない。僕なんかに言われなくてもやるだろうし、やってるだろうけどもね。

 

新年早々、色んなことが起こりすぎて、体調を崩してしまった。これだから正月は好きになれないんだよな。それでも自分にとっては少し希望の光が見えたような気がする。なんとか今年はいい年になりますように。いや、しないといけない。そのために頑張らないとね。ピアノも文章もね。

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

※そういえば、ブログを無料ドメインに変更してみました。上手く見られてるかな。これまでの記事も、順次ドメイン変更して見られるようにはしていくつもりです。

はてなブログproを卒業します

こんにちは、ぞうべいです。

このたび、2016年から7年間続けてきたはてなブログproを卒業します。

本当は昨年辞めるつもりでしたが、自動更新を外し忘れてもう一年。満を持して、卒業させていただきます。

理由は、ブログの更新ができなくなった、いや、しなくなったこと。正直に言えば、僕の駄文はTwitterじゃなかったXで事足りるから。あと今のドメインは会社含めたリアル知り合いにバレているので、なかなか本音を書けなくなっていたのもある。

ブログ立ち上げ当初は、あのフミコフミオさんに憧れ、広告収入だけで食えるようになってやるという崇高な目標を掲げていましたが、ただの三流日記雑記ブログに成り下がり、必然PVが減り、最近は放置プレイで赤字を垂れ流す。はてなブログ「pro」なんて、とても名乗れない惨状となっていました。有料プランの時点で、なんというか変な圧や壁が自分の中にあったのかもしれません。言い訳乙。

ちょうど更新が近づいてきたので、思い切っていったん卒業することにしました。

7年間で総PVは58万人。これは政令指定都市の要件を満たし、東京都八王子市の人口に匹敵するとんでもない数字。こんな駄ブログを訪問頂き、改めて感謝、感謝です。

これからは、無料ブログに移行し、一旦気持ちをリセットして、会社のリアル知り合いを断捨離して、今やってるX(Twitter)みたいに、いやそれ以上に、自由気ままに書いていければと思います。

今のぞうブロは、消さずに、他の無料ドメインに変更して残す予定です。

消し去りたい黒歴史。だけど、消せない記憶、消したくない記録なのです。

はてなブログさん、大切な場所をありがとうございます。

本当にありがとうございました。取り急ぎお礼まで。

またどこかで、お会いできれば幸いです。