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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

追悼 鳥山明先生

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鳥山明先生が急逝された。68歳。あまりにも早すぎる。

衝撃のニュースから一夜明けたが、ショックと寂しさは今も、心の中でじわじわ広がっている。

世界中の方々と同様、僕の少年・青春時代は、鳥山明先生の作品と共にあった。

アラレちゃん、ドラゴンボールを見始めたのは幼稚園のとき。小学校時代はドラゴンボールZに夢中。うちはテレビが19時半までしか観られなかった。しかも野球中継が多かった。そんな中、毎週水曜日、19時からの25分間は、至福のひとときだった。翌日の木曜日はいつも、小学校でドラゴンボールの話で持ちきりだった。ピッコロさんが悟飯を庇い涙を流しながら死んだ時は、僕も一緒に泣いた。ドラゴンボールの数ある感動シーンから一つ選べと言われたらこのシーンになる。僕の最推しは今でもピッコロさんだ。ほざけ!

(↓「ピッコロさんのダンディズムについて」 大好きな記事です)

https://manba.co.jp/manba_magazines/6627

カメハメ波や魔貫光殺砲の真似をし、悟空やピッコロさん達を描こうとするも自分に絵の才能がないことを呪い、ロートこどもソフトの目薬(ドラゴンケース入り)を親にねだり、台風が近づくと上半身裸で外に飛び出し気を溜める真似をして叱られる。世界中のどこにでもいる、ドラゴンボール大好きな頭からっぽの子供だった。

ドラゴンボールに加え、ドラゴンクエストにもどハマりしていた当時の僕にとって、鳥山明先生のイラストを見ない日は無かった。大げさでなく、一日たりとも無かったと思う。青春時代の不安定で未熟な僕は、一体どれほど、鳥山明先生の漫画、イラスト、ゲームに救われただろう。

頭からっぽの方が夢詰め込める。「落ちこぼれでも必死で努力すれば、エリートを超えることがあるかもよ」という悟空の言葉を胸に、修行(受験勉強)に明け暮れ、頭からっぽのまま大学生になった僕は、すぐさま髪を金色に染めた。驚くほど似合ってなかったが、気持ちはスーパーサイヤ人だった。この世はでっかい宝島、そうさ今こそアドベンチャー。そのはずだった。でも空っぽの頭に詰め込んだはずの夢は破れ、汚い花火となった。スーパーサイヤ人なんてなれなかった。普通のサラリーマンになってからも、ドラゴンボールの数々の名言、名シーンは、胸に刻まれている。

いつしか僕もおじさんになり、仕事も家庭も、毎日色んなハチャメチャが押し寄せてくる。頭の中は悩み事でいっぱいだ。でも、泣いてる場合じゃない。夢を詰め込めるスペースだけは、頭と心に確保しておきたい。

ワクワクを100倍にして、パーティの主役になろう。夢中になれるものが、いつか君、いや僕を、すげぇやつにするんだから。何が起きても気分はへのへのカッパ。ドラゴンボールは主題歌も素晴らしいのだ。

言うまでもなく、ドラゴンボールは、ポジティブなエネルギーに溢れた、少年漫画の世界歴代最高傑作。それに加え、国民的RPGのドラゴンクエスト。アラレちゃん。クロノ・トリガー。鳥山明先生の作品が、どれだけ僕らに力をくれ、どれだけ世界の中で日本のイメージを向上させてくれただろう。国民栄誉賞、いやあらゆる勲章でも足りない。でもそんな名誉は鳥山明先生には必要なかったのだろう。一生涯、超一流のクリエイターであり続けた。あまりにもカッコ良すぎる。世界一の漫画家。デザイナー。天才。どんな言葉でも足りない。敢えて言うなら、月並みだけど、神さま。そうとしか言えない。

 

鳥山明先生。

心よりありがとうございました。

謹んでご冥福をお祈り致します。

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