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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

国葬を見て感じたことを全部書きました。

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先日安倍さんの国葬儀(以下、国葬)が執り行われた。僕はテレビで見た。そこで感じたことを、いくつか書いてみた。長いですが読んで頂けると幸いです。

故安倍晋三国葬儀 - Wikipedia

当日、国葬がはじまるまで。

当日、僕はたまたま会社を休んでいた。子守のため。

友人が、デジタル献花のサイトを教えてくれた。そういえば今日は安倍さんの国葬だったな。日常を過ごし、故人を偲び、心の中で感謝と哀悼の意を捧げつつ、静かに送ろう。そんな気持ちで、デジタル献花させて頂いた。素敵な場を作られた皆様、ありがとうございました。

安倍元総理デジタル献花プロジェクト

 

昼過ぎ。長男の子守がてら最寄駅に行くと、駅前の一角で、3,4人の爺さん婆さんが、国葬反対、税金使うななどと書かれた横断幕やプラカードを準備していた。

国葬開始の14時に合わせて騒ぐ準備をしているんだろう。そういや安倍さんの四十九日が明けた時にもいたな。

いいよな暇人は。僕も休んでるけど。老後の生きがいか、あるいは小銭稼ぎか。人様の葬儀に文句を言ってたら、自分の葬式に誰も来てくれないよ。来てくれる人は元々いないかもしれないけど。何より通行の邪魔なんだよ。国葬費用は国民一人あたり13円らしい。あなた達の13円を僕がまとめて払ってやるから、さっさとそこをどいて下さいよ。

そんな苦々しい思いを噛み殺し、彼らを一瞥して、帰路に着いた。

国葬が始まった。思い出の安倍さんは、いつも笑顔だった。

そして14時から、そんな観れるものでもないからと、テレビで国葬を見ていた。

平日の昼間からこうしてテレビを見るなんて、いつ以来だろう。僕はNHKを見ていたが、他の民放でも国葬の中継をしていた。あれだけ反対だと煽っていたのに、ちゃっかり国葬は生中継するんだな。どうせなら、大好きな国葬反対デモの模様を垂れ流しとけばいいのにな。

 

式の間、デモ隊の妨害が心配だったけど、全く聞こえないので安心した。欠席すると騒いでた野党の政治家もいたが、邪魔者がいなくてよかったと思った。厳かな静寂の中、岸田総理の弔辞が始まった。

連日の激務、弔問外交、批判で、本当に大変だろう。総理の立場上、言えない言葉も沢山あるだろう。そんな中、無難ではあるけど、素晴らしい弔辞だった。葬儀委員長として、よく国葬を執り行ってくださったと思う。

 

衆参議院議長、最高裁の偉い方の簡潔な弔辞があり、皇族の方々が入場され、安倍さんの生前の映像が映し出された。

安倍さんの「花は咲く」のピアノ演奏から始まり、在りし日の姿が沢山。海外の方もいるから英語の字幕もあればよかったのに。そんな野暮な考えが一瞬ちらついた。でも、字幕なんてなくても、十分伝わっていると思った。

改めて気付いたけど、自分の心の中で思い出す安倍さんは、いつも笑顔だった。あのお人柄が滲み出た、人の良さそうな笑顔がもう見れないのは、やはり、悲しいし、悔しい。

菅さんの弔辞は、なぜ心を揺さぶったのか。

そして、友人代表として、菅前総理の弔辞が始まった。

訥々とした語り口から紡がれる、嘘偽りのない言葉。喪主の昭恵さんが目頭を拭う。その悲しくも尊い映像に、僕は引き込まれた。一緒に観ていた妻も同じだった。銀座の焼き鳥屋さんで安倍さんを口説いたエピソードは心に刺さった。「総理、あなたは常に笑顔を絶やさなかった…」と言った菅さんは、涙ぐんでいるように見えた。心から安倍さんを慕い、尊敬していたのが、画面越しからも痛いほど伝わってきた。

弔辞が締め括られると、自然と拍手が沸き起こった。僕も妻も、テレビの前で思わず拍手をした。本当に心を揺さぶる、素晴らしい弔辞だった。


www.youtube.com

なぜこれほどに、菅さんの弔辞が、見る人の心を震わせたのか。

たとえば僕からすれば、安部さんは雲の上の大政治家。お会いしたこともない。そんな僕でも、安倍さんの訃報は、とてもショッキングで、悔しく、悲しかった。しばらく気が抜けてしまったほどだ。それは僕だけではなかったし、海外からも様々な弔意が寄せられていた。

 

それなのに、この2ヶ月余り、弔いの報道は影を潜め、国葬反対のニュースが大きくなっていった。

「国葬反対6割超え」に象徴される偏向報道。駅前で見たあのお年寄り達が6割とは、到底思えなかった。ネットにあふれる誹謗中傷。中には、国葬をすることが中国への侵略戦争につながるなどと、一度病院に行った方がいいのではと心配するレベルの妄言もあった。それどころか、まるで殺した方が正しい、殺された方が悪いと言わんばかりの報道すらあった。殺人犯の減刑を嘆願する署名などがその最たるものだ。

僕ですらモヤモヤし、頭に来ていたのだから、昭恵さんをはじめとするご遺族、関係者、友人の皆様の心中を察するや、本当に想像を絶する。たしかに安部さんは、完璧な聖人ではなかったかもしれない。統一教会との件を知った時は正直ショックだった。だけどなぜ、あれだけの功績を残し、非業の死を遂げてもなお、ここまで酷く鞭打たれないといけないのかと。鞭打つ人に言いたかった。安倍さんやご遺族が、あなたに一体何をしたのかと。

 

そんな中の、菅さんの弔辞。

岸田さんもだけど、菅さんも官房長官や総理時代は、無表情だった。当然だろう。背負っている責任はとても大きいし、毎日とんでもない激務だ。そんな中、涎を垂らして失言を狙っているメディアや政敵がいる。

そんな菅さんがテレビで初めて見せたかもしれない、本心からの実直なことば。派手な涙や歯の浮く台詞、流暢な語りはない。けれど、菅さんにしか紡げない言葉。滲み出る悔しさと悲しさ。そして溢れる安倍さんへの敬愛と感謝。

大切な人が理不尽に殺されてもなお傷付けられているご遺族、関係者、国民、ついでに僕、そんな人達の想いにそっと寄り添い、まるで一緒に泣いてくれるようだった。

色々ごたごたし、なんだか安倍さんに申し訳ないなと思いつつ、でも、やっぱりやってよかったんだ。間違ってなかったんだ。一切合切の批判や中傷を、全て吹き飛ばしてくれた。何だか救われた気持ちになった。

だからあれほどに、菅さんの弔辞は、人の心を震わせたのだと思う。

菅さん、本当にありがとうございました。月並みですが、安倍さんもきっと天国で喜んでおられると思います。

 

騒然デモと対照的な、整然で毅然とした長蛇の列。

それに加え、もう一つ、どうしても触れておきたいことがある。

安倍さんが凶弾に斃れてから国葬までの2ヶ月余り。メディアやSNSでは、目に余る偏向報道や、ご遺族の気持ちを踏みにじる心無い言葉が溢れ返っていた。

当日も案の定、プラカードを手に騒ぐデモの様子が伝えられた。殺人犯のコスプレで騒ぎ、故人の顔を的にして射的に興じる姿もあった。いくら表現の自由とはいえ、観るに堪えないものだった。

しかし同時に映し出されたのは、平日の昼間にも関わらず、長い長い献花の列に、静かに並ぶ人達の姿だった。ふと、東日本大震災の時、静かに列をなす被災者の方々の、世界から称賛された映像を思い出した。

www.sankei.com

ごく一部の、傍若無人なノイジーマイノリティ。偏向報道で分断を煽ってきたメディア。まるでそれらに対抗するような、いやむしろ、そんなものなど相手にもしないような、整然で毅然とした、無言の長蛇の列。騒然としたデモや批判報道とは、実に対照的だった。騒げば騒ぐほど、負け犬の遠吠えに思えた。「主催者発表15000人、実際数えると307人」との報道が、さらに失笑を誘った。

勿論、日本には表現の自由がある。でも、どちらが人として正しい姿なのか。少なくとも、あなたはどちらでありたいのか。そう聞かれれば、たとえ幼稚園児でも、答えは明らかだろう。

まだまだ日本も捨てたもんじゃないなと思った。

日本の癌、それはカルトとメディア。

負け犬といえば、翌日、「菅さんのスピーチは政治的だ」「電通が入っている」などとつまらないデタラメを言っている、玉なんとかというワイドショーのコメンテーターがいた。あの暴言は逆に、菅さんの弔辞と、無言の献花の列が、いかに素晴らしかったかを、雄弁に物語っていたように思う。

俺たちが世論をコントロールしてやる。普段からそんな思いあがったことばかりしてるから、ものごとがそういう風にしか見えなくなるのだ。今回も、いつも通り反対を扇動して、うまくいってるつもりだったのだろう。

ところが蓋を開けてみると、自分たちのやっていることはみっともなくて、しかも少数派だった。いわば質でも量でも負けた。完膚なき敗戦。それをまざまざと見せつけられ、よほど悔しかったんだなと。

あの菅さんの弔辞を見ても、こんなチンケなことしか言えないのか。あまりのさもしさに、怒りや呆れを通り越し、哀れみすら感じた。

与党政治家なら議員辞職ものの発言。今後彼はどうするのか。まさかあの謝罪だけでこのまましれっと続けるんじゃないよね。

 

この2ヶ月余りで、改めてはっきりと分かったことがある。日本国にとって、日本国民にとって、何が一番癌なのか。

それは、カルト。そして、メディアだ。

カルトについては今更言うまでもない。ただの詐欺集団なのだから。

問題はメディアだ。もちろんすべてとは言わない。でも敢えて言いたい。政治家でも誰でもない、メディアこそが、分断を煽り、日本を衰退させるのだ。

国葬が世論の分断を招いたのではない。メディアが国葬を利用し、世論を分断したのだ。

 

今や、まともな人は、偏ったテレビや新聞なんて見ないだろう。みんな忙しい。見るのはごく一部の、普段相手にされない、偏った暇人だけだ。メディアも金儲けだから、そういう「特定のお客さん」が喜ぶニュースを作る。バイアスをかけて1%の声を60%に増幅させ、あるいは99%の声を40%に矮小化し、世論二分、賛否両論だと煽る。お客さん達は心強い味方を得たと調子に乗り、ますます騒ぐ。

大多数のその他の人はうんざりし、時には怒り、そのニュースに突っ込む。すると視聴率が上がり、新聞が売れ、PVが伸びる。広告収入が増える。結果、メディアは儲かり、お客さん達は承認欲求が満たされる。ウィンウィンのはた迷惑な祭。その祭には、偏った人間が集まり、偏った政治家が生まれる。メディアは民意を得たと煽る。ずっと続いてきた負の連鎖。

 

正直、胸くそが悪い。それに突っ込むことも、なんだか彼らと同じレベルに堕ちたようで、彼らの金儲けに加担しているようで、気が進まない。それに、政治的な発言は面倒がられる。君子危うきに近寄らず。スルーが賢明だ。僕は君子じゃないけど、この話題は書かないつもりだった。

だけど、書いた。このまま黙っていられなかった。ある意味で僕も偏っているだろう。でも僕も表現の自由を盾に、ぶちまけさせてもらった。ご容赦いただきたい。

おわりに。

この機会に、詐欺集団のカルト宗教と、偏向報道で金儲けをするメディア、それに人を傷つけたり迷惑をかけることで金儲けをする人たちが、日本から消え去って欲しいと切に願う。4歳と2歳の息子たちが成人するときには、そんなものは居なくなっていてほしい。

少なくとも彼らには、他人の葬式を妨害しようと騒いだり、人を傷つけたり迷惑をかけて金儲けをしたり、花束を投げ捨てたり(これは別の件だけど)、金で魂を売ったり買ったり、人の気持ちを踏みにじったり。

そんな恥ずかしくて、みっともない人間には、なってほしくない。たとえどれだけ優秀でも、金持ちでも、男前でもだ。いろんな意見があってもいいけど、そういうのは、絶対にだめだ。

翻って自分は、優秀でも金持ちでも男前でもない。だけど、今回の件で学ばせてもらった、人として当たり前の心だけは、これからもずっと、最期まで、持っておきたいと思う。

 

国葬が無事厳かに執り行われ、菅さんの感動的な弔辞と、整然毅然とした無言の長蛇の列で、モヤモヤした気持ちが救われた。何か一つ、いい意味で、区切りを付けることができた。

 

長々と書いてしまった。ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

最後に。

安倍さん、本当にありがとうございました。

本当にお疲れ様でした。

どうぞゆっくり、お休みください。