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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

トイレトレーニングという親子の修行

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息子が3歳になったので、トイレトレーニングを始めてる。だけど嫁さんが早くもノイローゼになりかけだ。「もうう○ちばかり替えたくない!」と。週末、自分も参戦した。

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当然ながら、全然できない。

「う○ちが出そう」どころか、してもしばらく言わずに遊んでる。トイレ(おまる)に座らせるとギャン泣き。オムツを変えた途端、第二波、第三波をちょびちょびする。

 

最初だし仕方ないか。でもいつまでもほっとくけない。躾をしないといけない。

 

幼稚園の誰それは、もうオムツが外れてる。というかオムツの方が少数派らしい。

ただでさえ、発達が一年ほど遅れていると言われている息子。自分の子だけ、いつまでもオムツが外れなかったら大変だ。

何とかしないと。何より困るのは息子自身なのだから。

 

そう思えば思うほど、焦りと苛立ちが止まらない。息子をきつく叱ってしまう。おまるに跨り泣いている息子を見て、胸を痛める。

でも夜、息子の寝顔を見ていると、可哀想で申し訳なくて、思わず涙が出そうになる。

嫁さんがそう言ってた意味がよく分かった。

 

そして翌日、う○ちをオムツに無言で小出しする息子に、また苛立ちが募る。その時はしくしく泣いているけど、すぐにいつもの笑顔を取り戻す息子。

こちらが何を言ってもオウム返し。全然分かっていない。話を聞いて理解する能力がまだないんだろう。仕方ないと分かってるんだけども。

 

これを延々繰り返し、さらに0歳次男の子守り家事。

「もうう○ちばかり替えたくない!」

嫁の魂の叫びの理由が分かった気がした。

 

自分は二日しかやってないけど、叱るのはとてもパワーを使う。落ち込み、疲弊し、週末何もできなかった。大人二人で小さい子を叱る。絶対にやったらいけないことをしてしまった。

誘われていたオンライン飲み会にも参加する気力すらなかった。昇進試験の論文は一文字も書けなかった。それはいつものことだけど。

 

子供は叱らず、褒めて育ててやって。

特に上の子は手がかかるから。

我慢我慢やで。

自分らの時の反省も兼ねて。

 

少し前、そう親に言われたことがある。

その意味が身をもって分かってきた。

 

自分自身、褒められもしたけど、怒られまくった記憶が強い。反抗期も長かったし、さぞめんどくさいクソ長男だっただろう。

そんなクソ野郎が息子のトイレトレーニングくらいで、文句を言ったらいけないね。大体お前も小学生の時にう○こ漏らしたことあったよね。お前の方がクソ野郎やんってね。

 

叱ったらいけない。そう頭では分かっている。だけど、難しい。どうすればいいんだろう。

子供が寝た時、嫁さんと話し合った。

そして、こう思うことにした。

これは、私たちが親になる修行なんだと。

 

息子は3歳だけど、自分らも親になりまだ3年目。会社ならまだまだ未熟な若手社員。

親として人間として未熟なせいで、我慢が足りないせいで、怒りまくってしまう。その結果、息子を萎縮させ、性格を歪め、笑顔を奪ってしまう。

それだけは、絶対にあってはならない。

 

いいよ、うんこくらい。大人になってオムツしてる人はいない。そのうちできるようになる。それに大人になっても人の話を聞かない奴は沢山いる。

気長にいこう。どんと構えよう。特に男親はね。

 

そう話してると、息子が起きてきた。彼は笑顔で、「うんちした」と言った。嫁は涙していた。事後報告でもまずは良し。一歩前進。

親子みんなで乗り越えていかないといけないな。怒って悪かったな。一緒に頑張ろうな。