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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

そうだ京都行こう。京大の面汚しが中年になり人生に疲れて京大を再訪しつつ、京都グルメを堪能した話。

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辛くつまらない仕事。リフレッシュ休暇と称し実家に帰った嫁。うまくいかない嫁両親。RSウイルスを私にうつし嫁とともに帰った息子。台風の影響で作業量が倍増した実家での稲刈りと柿取り。遅々として更新できないブログ、、、
 
もう、たくさんだ。
そうだ、京都、行こう。
 
大学時代を過ごした想い出の地に行けば、このモヤモヤを解消する何かが見つかるかもしれない。ついでに京都のうまいもんでも食べよう。
そうすれば久々にブログを書けるかもしれない。そう思い、私は旅立ちを決めた。

 

京阪七条のオシャレカフェ「Veg Out」で京大に行こうと決めた。

途中、乗り過ごして草津に行くも、なんとか京都駅に到着。

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あいにくの雨模様。
おまけに、お目当ての一つだった「新福菜館」は、定休日だった。
 
でも、それでいい。
思い通りいかないのが人生の常だ。今はただ、雨に打たれたい気持ちなんだ。
この不便すら、自分の糧となるはずだ。
敢えて傘を買わず、歩いて京阪七条に向かう。
雨が激しくなり、その決断を後悔したのは、数分後だった。
 
京阪七条駅の手前、鴨川の橋付近に現れたのは、小綺麗なカフェ。
雨の鴨川を見ながら、沈思黙考し邪念を取り払うには、ちょうど良さそうな空間だ。
何より雨宿りがしたい。その一心で飛び込んだ。

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「ブッダボール」という名のランチに心惹かれたが、あいにく売切れだったので、お洒落な玄米カレーを注文。

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こんな雰囲気の店、きっと嫁さんは好きだろうな。ふと脳裏をよぎった、喧嘩中の嫁。嫁さんと子供は、実家で元気にやってるだろうか。気になるけど、意地を張ってしまうのが悲しい。
 
京都にいた頃、鴨川はデートスポットの定番だった。
当時は私も、鴨川等間隔の法則の実証を目指していた一人だったが、実際鴨川なぞには目もくれず、隣の女性とこの後どうするかしか、考えていなかった。
そういえば当時付き合ってた彼女は今どうしてるのかな。幸せになってたら嬉しい。
いやいや、そんな邪念は今はいらないんだ。
 
ともあれ、一人で、こんなゆっくりと、雨の鴨川を見たことなんて、一度も無かった。
雨の鴨川、行き交う外国人観光客、カフェの女子受けのよさそうなBGM。それらは全て、私自身がお洒落で意識の高い青年にレベルアップしたと、心地よく勘違いさせてくれる。

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鴨川を臨むカウンターの数席隣では、意識の高そうな小綺麗な学生さんが、一人静かに本を読んでいた。たぶん京大生だろう。
どの大学もそうだろうが、京大生は主に3タイプに大別される。3割のスーパーマン。顔も頭も運動神経も性格もいい。天は一体何物を与えたのか。憎たらしいほどの超人だ。それと5割のガリ勉風典型的京大生。そして残り2割のクソ。クソの中心で愛を叫んでいた私に、せめて彼の百分の一でも理性と知性があれば。

しかし、あれから10数年の月日は、確実に私を大人にしてくれたようだ。白髪や腹回りの贅肉を含めて。

 

しばらく鴨川を眺めているうちに、私はふと、京大に行きたくなった。

雨も弱まったので、私は京阪電車に乗り込み、出町柳駅に向かった。

 

京大の面汚しが京大に戻り、ルネのパフェに癒された。

長渕剛のとんぼじゃないけど、かつては「死にたいくらいに憧れた」京大だ。
その後、うまくいかずに「京大のバカヤロー」に変わった時期もあったけど。
まさにほろ苦く懐かしい、私の原点の一つだ。
 
出町柳駅に到着。
常連だった駅前の雀荘「清風」はなくなっていたが、懐かしい雰囲気は変わらない。
てくてく歩き、懐かしの百万遍に到着。

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旧工学部の建物。生協ルネ。聞こえてくるサックスの音色。行き交う賢そうな人達。今の私には、あまりにも眩しい景色。思わず目を背けた。
 
せっかくなので、京大のシンボル、時計台にも寄っておいた。

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「学生時代、まともに大学に来なかったのに、今更何の用だ?
まさか、過去の栄光に浸りにきたんじゃないだろうな?」
 
鎮座する時計台、そして守衛のおじさんが、そう言っているように見えた。
「遠い昔の卒業生だ、文句あんのかコラァ!」などと、ズカズカ入って行く気には、どうしてもなれなかった。

 

大学には入らなかったが、私には京大でどうしても食べたいものがあった。
生協ルネの、ささみチーズフライだ。38年間生きてきたが、あれを超えるささみチーズフライを食べたことがない。社会人になってからも、京都に来た時には老けた学生を演じてちょくちょく食べにきていたほどだ。

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生協ルネ。
 
しかし。悲しい知らせが待っていた。
なんと、ささみチーズフライは、販売終了したのだという。
「お前の居場所はもはやここにはないぞ」と、ここでも顔をひっぱたかれた気分だった。
ああ、あのささみチーズフライになら、私はいくらでも払う、、そう、2000円くらいなら、、
 
悔しいので、代わりにカフェモカパフェを注文。
キャッチコピーが今の私にぐさりと刺さったからだ。

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部活帰りっぽい爽やかな学生達を横目に、一人パフェを食べながら、私は思い出していた。

思えば理系の工学部を後悔したのは、4回生の時だった。工学部だけ、桂キャンパスという僻地の山奥のバイオバザードに出てきそうな研究所に隔離されると聞いた、あの時。当然ながら、百万遍のキャンパスに残って自由と青春を謳歌する他学部生に嫉妬した。

なんで工学部だけ!ただでさえ女子がいなくて出会いがないのに!と、当時はずいぶん理不尽に感じたものだった。今なら分かるけど。

 

それでも大学時代は、かけがえのない貴重な唯一無二の時間だった。社会人になり、それを嫌という程思い知った。二度と戻らないあの時を思い出すだけで、鬱になりそうなので、敢えて記憶を封印していた節すらある。

人生に少々疲れた38歳のおっさんにとって、楽しかった過去を思い起こすことは、往々にして、辛かった過去を思い起こす以上に、苦痛を伴う。

でも、今みたいにどうしようもなく疲れてしまった38歳の自分にとっては、その過去の甘く苦い傷すら、癒しになるのだ。

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パフェも甘かったです。

 

隣の京大生たちが、就活の話をしていた。こっそり盗み聞きしていた。

京大の看板があれば、どんな企業でも、引く手数多のようだ。彼ら同様、当時の私もタカをくくっていたのだろう。しかし、ここでいう京大生とは、前述した3割のスーパーマンのことだ。

彼らがそこに入るかは分からないが、当時最下層のクソだった私には、そんな保証は何もなかった。むしろ京大の看板は邪魔にすらなった。社会人になり、京大卒、かつ京大大学院中退ということで、悪い意味で色眼鏡で見られることばかりだった。

 

「おい京大!お前京大のくせに、こんなこともできんのか!」

「君京大卒?なのに仕事できないね、大したことないね。」

「うちの会社は、京大みたいなエリートの末端と、中間層が来るんだ。まあそういうエリート崩れは、大抵使えないんだけどね。」

「大学院中退?君何したの?」

 

そんな言葉をたくさんぶつけられた。

驚くべきことに、入学から20年近く経った今でも、そんなことを言ってくる人間はいるのだ。

言ってくるのはいつも、私と同じ、学歴も仕事も中途半端な奴だ。同族嫌悪なのだろうか。

仕事ができない云々はともかく、こういう言葉は辛い。


京大卒、京大院中退ということで、お前たちの給料が私の懐に入ってるわけでもないだろうに。

ドラフト1位で入団したけど思うように活躍できない某プロ野球選手達の気持ちが、わかるような気がする。でも彼らと違うのは、私は契約金なんてもらってないぞ。


言うまでもないが、仕事ができるかと学歴は別物だ。わざわざ言わなくても私もわかってる。学歴論を議論する気にもならなかった。ただただ、めんどくさかったので、エヘヘへ、テヘペロで通した。


だから、いつしか私は京大に行ったことを後悔し、隠すようになった。京大=いけすかない真面目野郎、というイメージを払拭するため、わざと馬鹿なことばかりしていた。しかしその必要はなかった。そんな小賢しくあざといアピールは、見透かされていただろうし、何より元々馬鹿だったからだ。自分の過去に蓋をすることで、自信まで無くしてしまっていた。今思うと、完全に被害妄想だ。もっと突き抜ければ誰も文句なんて言ず、さすが京大だねとなるんだろうけど、悲しいかな、自分にそこまでの力はなかった。

 

しかし同時に思い出した。京大に行ったからこそ、私のようなポンコツでも、何とか就職、転職し、働けているのだと。

学歴コンプ野郎の嫌味を真に受ける必要なんてない。何より、今お前がダメなのは、京大入学後から社会人にかけ、酒と女と麻雀に溺れ、怠惰を極めた産物だ。自業自得だ。

京大に罪はない。大体お前は京大のクソを自認してただろう?クソの割には十分恩恵も受けているじゃないか。

 

お前の居場所はもう、ここにはない。

いつまでも過去の栄光や挫折にすがるんじゃない。

でも、どうしようもなく落ち込んだら、ちょろっと顔出せよ。

お前みたいな京大の面汚しでも、喝を入れてあげるから。

クヨクヨせず頑張れ。

未来をどう生きるかで、過去の意味は変えられるんだ。

 

そんな風に、京大に背中を押された気がした。

実際何も変わらないけど、気持ちがふっと楽になった気がした。何より、しばらく書けてなかったこのブログを更新できた。京大ショック療法恐るべしだ。

 

明日から頑張ろう。仕事も家庭も育児も。休みをくれた会社にも感謝しないといけない。嫁さんにも連絡してみよう。そう思い、私は満足してルネを出、出町柳駅に向かった。

 

京都の夜。祇園らしさ全開のオシャレラーメン「むらじ」を堪能。

帰ろうとしたけど、せっかくなので京阪三条駅に降り立った。

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ここのスタバが一番好きだ。人がいっぱいで行かなかったけど。

河原町や木屋町、先斗町を放浪。

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何度歩いても、この辺の雰囲気が大好きだ。

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学生時代、僅かに残っていた知性に壊滅的打撃を与えた、木屋町の安居酒屋たちも健在だった。

 

学生時代敷居が高かった祇園も散策。

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今でも敷居が高かった件。いつになったら、祇園で豪遊できるのやら。

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それでも歩き回っていると、祇園らしさ満載なのに安くて美味しいラーメン屋さんを偶然見つけた。

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祇園らしさ全開で、いかにも敷居が高そうな外観。店内も超オシャレ。とてもラーメン屋には見えない。だけどラーメンはお手頃価格。

私は「ラーメン鶏黒」を注文。

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こってり目の醤油味。美味い。896円なり。 

これなら祇園と言えども気軽に行け、雰囲気を存分に味わえる。おススメです。

ramen-muraji.jp

 

懐かしスポットを巡り、グルメも堪能した今なら、ネオン街の誘惑にも耐えられる。そう思いつつ、私はもう一杯飲むため、木屋町のネオン街へと吸い込まれていった。

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ありがとう、京都の街。

明日から、頑張ろうと思う。

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