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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

自分の文章に救われる。

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承認欲求を拗らせた結果、知人や会社の人に匿名ブログがバレて、書きたいことが書けなくなって目標を見失い、ブログを辞めようと思ってたけど、田中泰延さんの著書「読みたいことを、書けばいい。」と、自分自身の過去の文章に救われたというお話です。

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久々にまとまった時間が取れたので、少し振り返って整理してみました。 

 

お金が稼げるかも、有名ブロガーになれるかも。

そんな不純かつ真っ当な動機で、かれこれ3年以上、200記事以上の駄文を、ネットに流してきました。

でも、実を言うと、一番のモチベーションは、お金でも有名人になることでもありませんでした。

ひそかに抱いていた、「自分の文章は面白い」という自負。「自分は文章を書くのが好きだ」という思い込み。それがどこまで通じるのか、試してみたい。そんな気持ちがあったのです。

 

更新は遅々として進まず、「文章を書くのが好きだ」というのはやはり思い込みだったと確信しました。

でも幸い、200人以上の方が読者になってくれましたし、記事をSmartnewsやGoogleアプリ等に載せてもらったこともありました。

GoogleAdsenseの報酬も、何度か頂けました。

 

もちろん、世の中には、もっと面白くてすごい人が、うじゃうじゃいます。

でも、たまにそうやって評価をしてもらえると、本当に嬉しくて、ゾクゾクしました。

人様に認めてもらい、共感してもらえることが、こんなに嬉しいなんて。

セクシーな水着写真を嬉々としてSNSに載せている一般女性の気持ちが、分かる気がしました。

 

私は、今まで以上に、他人の評価を気にするようになりました。

どうすれば、ヒットを出せるのか。

 

ヒットなんていうと大げさだけど、私のブログでヒットした記事には、共通点がありました。

自分の境遇や体験談が、包み隠さず率直に書かれていること。

その決死の暴露が、同じ境遇の方から、共感を得ていたのです。

 

そもそも、このブログで、私はずっと、匿名を貫いていました。

「包み隠さず」なんて、狂気の沙汰だ。顔出しなんてもってのほか。

会社や知人に、絶対にバレてはいけない。

バレたらどんなひどい目に遭うか。それに恥ずかしいし興醒めだ。仕事の記事は色々問題だろう。

 

しかし、ブログを続けるにつれ、バレたくない気持ちを、承認欲求が上回りました。

自分をぶっちゃければ、共感は得られやすい。そのうえで、評価されたい。

今思えば、見る人が見ればすぐ分かってしまうようなブログ名やハンドルネームを付けたのは、そんな心理があったのかもしれません。

 

気が付けば、友人にバレてしまいました。

オープンなネット空間で、誰にもバレないなんてことは、あり得ないのです。

 

一方で、記事はというと、共感や評価を得られたいがため、仕事やプライベートなどを赤裸々に書いていました。

それは知らず知らずのうちに、エスカレートしていました。

 

気づけば、水着女子がインスタライブでポロリしてしまう。そんな危険が、すぐ目の前にあったのです。

 

薄っぺらなネタ、小手先の計算や打算だけでは、共感は得られない。

大体、そんな記事では、自分が面白くない。

とはいえ、会社と家の往復ばかりで、ネタは、仕事と家庭と育児しかない。

文章を呑気にダラダラと書く時間もない。

そんな中、自分が面白がれ、人にも刺さりやすい、そんな安易なプチ暴露記事を書いていました。

 

そしてついに先日、このブログが会社の人にバレていることが発覚しました。

 

一度出した記事は消さない。どんなアンチコメントにも返事をする。

その強気の姿勢はどこへやら、私は仕事関係の記事を急いで非表示にし、身バレに直結するコメントは非承認にするようになりました。

 

恐れていたポロリが起こってしまい、書きやすかった仕事ネタは全く書けなくなった。

残るは家庭と育児ですが、一度身バレしてる以上、なんでも書けるわけではない。

個室でひとり全裸になり、ひそかに自由を満喫していたつもりが、実は外から丸見えの、逆マジックミラー号状態だった。

恥ずかしいところを好奇の目でニヤニヤ見られていたと思うと、そしてその見てる人の顔が分かってしまうと、途端に自由に振舞えなくなってしまう。

それが一番嫌だった。

 

この瞬間、私の中で、このブログ「ぞうブロ」は、死にました。

苦し紛れで「ぞうブロ~SEASON2」とブログ名を変えごまかしましたが、何も解決してない。

大体、事ここに至ってもまだ「ぞうブロ」の看板を下ろすことができない、凄まじいまでの優柔不断と承認欲求に、我ながら辟易しました。

 

ネット空間に出したものは、誰でも見ることが出来る。自分にとっていい人も、そして悪い人も。誰が見てるか分からないし、簡単に消すこともできない。

そんな当たり前すぎる事実を、痛感しました。

 

ああ、書きたいことが、書けなくなってしまった。

そもそも私は、何を書きたかったんだろう。何をしたかったんだろう。

 

一生懸命書いた文章を読んでもらいたい。共感してほしい。

それこそが、文章を書く目的だったのに、表立って書けないことでしか、私は共感を得られなかったのだろうか。

自分の文章力とは、こんなものだったのか。 

そもそも人様に伝えたい、伝えられるようなことなんて、なにもなかった。

 

正直な話、ブログなんて辞めようと思いました。このブログを消し去ろうと考えました。

しかし、それはできませんでした。

 

頑張って書いた記事を消すのは忍びない。

嬉しかったコメントまで消すのも申し訳ない。

GoogleAdsenseを手放すのが惜しい。それもあります。

 

だけど、本当の理由は、

「自分自身が、過去に自分が書いた文章に、救われていたから」です。

当時、睡眠を削って必死に書いた、可愛いクソ記事たち。

知り合いとつながり、顔出しもしてるFacebookやInstagramでは表現できなかった、率直な長文。

私にとっては、恥ずかしながらも、れっきとした「作品」です。

 

ナルシストの私は、事あるごとに、ちょくちょく自分の記事を読み返しています。

「ああ、昔そういやこんなことで悩んでいたな」

「このときから自分は成長したのかな」

「このときの気持ち、もう消えかかってたな。進化なのか退化なのか、、」

それは考え方だけでなく、文章力についてもでした。

「この言葉遣いでは、自分の気持ちをうまく表現できたよな」

「この文章、下手くそだな。今ならこんな風に書くのに」

書けば書くほど、それは自分の糧になっていたのです。

 

中には、「この記事に救われた、励まされた」、そんな涙が出るほど嬉しいコメントを頂いていた記事もありました。

自分の体験や文章が、会ったこともない人に伝わり、役に立てた。気持ちを楽にしてもらえた。

その嬉しかったエビデンスまで消すことは、どうしてもできませんでした。 

 

もう一つ、私を救ってくれたもの。

私のバイブルであり、大好きな本である田中泰延さんの著書「読みたいことを、書けばいい。」には、こんな言葉があります。

「読み手など想定して書かなくていい。その文章を最初に読むのは、間違いなく自分だ。」

「満足かどうか、楽しいかどうかは、自分が決めればいい。しかし、評価は他人が決める」

「他人の人生を生きてはいけない。」 

「自分のために、書けばいい。読みたいことを、書けばいい。」

 

この本は、自称ブロガーとしての自分を、何度も救ってくれました。

いつかこの本のレビューを書きたいのですが、内容が膨大になりそうだし、既にいろんな方が書いているレビューと被りそうで、なかなか書けずにいます。

でも本当に素晴らしい本です。とても読みやすいし、めちゃくちゃ面白い。

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 今回もですが、この本を読んで書けたという記事は多いです。謝礼を払わないといけませんね。いつもお世話になっております。

 

というわけで、久々にひと記事書けました。

いつかこの記事が、やさぐれている未来の自分自身を、救うことがあればいいなと思います。

そして、このブログは消さずに出来る限り残そうと思います(データはどこかに残ってるだろうし)。

はてなブログproじゃなくなり、ドメインは変わるかもしれませんけどね。

忘れられた頃、たまーにひっそり更新します。よろしくお願いします。

 

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