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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

死ぬ前に大学院辞めればいいよ。

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死ぬほど辛いのなら、辞めて逃げてしまえばいいよ。100点なんて、取り続けなくていい。君を必要としてくれる人や場所は、必ずある。今は知らないか、見えていないだけだ。

中途半端なプライドなんて、一番最初に捨てなさい。何の役にも立たない。むしろ邪魔。馬鹿だ阿呆だと、笑われていればいい。笑わせておけばいい。

 

自分自身の内面ですら分からないのに、他人に自分の内面まで理解してもらおうと思っても、しんどいだけだよ。

他人は所詮他人だ。だから他人に期待しすぎるな。その代わり、自分だけは自分の味方でいてあげて。

生きてても、しんどいことはたくさんある。年を重ねれば、悩み苦しみも大きくなる。だけど、いいこともある。この世は、全てグラデーションだ。絶対なんてない。

あるとすれば、それは死ぬことだ。死んだら、全て終わりだ。

どんな惨めな失敗、情けない経験も、時間が薄めてくれる。そして、それらが自分の糧となり、強くなれる。人に優しくなれる。

 

だから、死ぬ前に、大学院を辞めればいいよ。

 

三浦春馬さんの自死という衝撃的なニュースを聞いた。昔大学院で挫折したとき、いろんな方がかけてくれた言葉たちを、ふと思い出した。

 

こんな世知辛く生きづらい世の中、誰でも一度や二度くらい、死にたいと思うだろう。それが普通で、ある意味健全なことだと思う。

私は一度も死にたいなんて思ったことがありません!

そっちの方が、私には危なっかしく思える。実際死ぬかは、ひとまず置いといて。

そんな世知辛く理不尽な世の中で、迷い悩み苦しみ、七転八倒悪戦苦闘しながらも、自分のため家族のため、仲間のため人様のために、頑張って生きている。それだけでもう、とても素晴らしいことなんだ。そう思わされた。

 

あれからもう15年。その間、辛いことも楽しいこともあった。40歳になり、仕事、家族、家のローン、気づけば背負うものが増えた。自分の時間なんてほとんどない。死ぬことすら自由じゃない。プライドはほとんど捨て去った。我慢、諦め、折り合い、調整。そんなことばかり覚えた。身についたのは、腹周りの贅肉だけだ。

それが進化なのか退化なのかは、分からない。25歳の自分が今の自分を見れば、絶望のあまり死を選ぶかもしれない。だけど、私は生きています。

 

生きててよかったのだろうか。それは死ぬ間際にならないと分からない。いや、死ぬ間際でも、分からないままだろう。そんなことは、考える必要すらない。

過ぎ去った過去を悔んだり、分からない未来を漠然と不安がるより、今この瞬間、できることを一生懸命やる。結局、それしかできないのだから。

それに、ポジティブでもネガティブでも、現実は変わらない。だったら、ポジティブでいる方がマシだ。

ようやく、そう思えるようになった。年齢を重ねるのも、悪くないものだ。

 

過去は変えられないけど、未来は変えられる。その選ぶ未来によって、過去の意味も変えられる。そんな意味のことを、YOSHIKIさんが言っていた。

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https://tr.twipple.jp/h/ef/fd/%23songsoftokyo.html

その通りだと思う。あの頃大変だったなあ。まあ色々あったよね。そうやってブログに書けている。

 

チンケなプライドしか持たず、他人ばかり気にして、闇の中で途方に暮れていた、当時25歳の自分に言ってやりたい。

クソみたいなプライドなんか捨てちまえ。何とかなるもんだよ。

死ぬ前に、大学院辞めればいいよと。

三浦春馬さん、さぞ苦しかったろう。ご冥福をお祈りします。安らかに。

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