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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

小学時代両想いだった幼馴染の女性と久々に再会して知った衝撃の事実。

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彼女と出会ったのは、小学校5.6年でクラスメイトになったとき。男2女2の4人組で、よく遊んでいた。
小5のときは彼女の友達を好きだったかと思う。しかし小6では密かに彼女に乗り換えていた。小6のバレンタインで、彼女から人生初の本命チョコを貰った。1年前誰にもチョコを貰えず、悔しくて泣きながら帰ったあの日。おばあちゃんがくれたチョコを涙を堪えて食べたあの日からは考えられない、本当に天にも上る気持ちだった。あまりに嬉しくて、毎日一欠片ずつしか食べられなかった。
たった1個のチョコが男子の魂をも救う。決して過言ではない。
 

 

めでたく「両想い」になった私たちだが、別れは早かった。私は中高一貫の私立中学へ。彼女は地元の公立中学へ。LINEはおろかポケベルさえなかった時代。一緒に夏祭りに行きたいな、と思っていた中一の夏、彼女から家電。彼女は涙しながら、「大好きだけどもう会えない」と言った。きっと他に好きな先輩でもできたのかな。仕方ない。ウブな自分にはどうすることもできなかった。
 
 
とはいえ、たまに地元の駅の前の本屋で、彼女に遭遇することもあった。元気?などと他愛のない会話を少しだけした。たまに手紙もくれた。バレンタインにばったり本屋で出会ったときは、彼女は義理チョコをあげるといい、駄菓子屋でチロルチョコを買ってくれた。
中学時代全くモテてなかった私にとって、これまた唯一のチョコだった。
当時はまだ、彼女が大変な状況にあったことなんて、知る由もなかった。
 
 
高校になり、私は中途半端なモテ期を迎え、調子に乗っていた。そんな高2のとき、彼女とばったり駅で会った。彼女は水泳部に入り、ショートだった髪はシャギーになり、メガネはコンタクトになり、見違えるように綺麗になっていた。今で言う山本美月ばりの美人。久しぶり~元気?と彼女は笑い、シャギーの髪を触らせてくれた。今まで嗅いだことのないいい匂いがした。鼻血を吹き出してその場に卒倒してしまいそうなのを、童貞の芋は必死で抑えた。
 
そのため、彼女が鬱病寸前なのにも、全く気づかなかった。

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高3の受験前から、私は抑鬱病を患った。志望校に落ち、辛い浪人生活。隔週で心療内科に通いながら、難波の予備校に通う日々。
電車の中で偶然、彼女に会った。彼女は大阪の専門学校に通っているらしい。さらに垢抜けた彼女はあまりにも眩しくて、一方の自分が惨めで、私はまともに彼女の顔を見れなかった。
後日、彼女は手紙をくれた。難波駅にあるスムージーが美味しいよ。頑張ってね。そう書かれていた。勉強が辛くなった時、私はしばしば大枚(400円)をはたき、そのスムージードリンクを飲んだ。
 
 
実は彼女は、専門学校の傍ら、私と同じ抑鬱病を患い、大阪の心療内科に通っていた。
全くそんな風には見えなかった。私に見る余裕が無かったのかもしれない。
 
 
大学に受かり、彼女に再会したのは、成人式のときだった。振袖を着た人懐っこい笑顔の山本美月。中途半端に髪を染め、農村部から上海に出てきてイキってる中国人みたいになってた私は仰天した。中学から離れていたので、小学校の友達とは、ほとんど疎遠になっていた。でも彼女は気さくに近づいてきてくれた。ツーショットを撮ってもらった。「誰やあの可愛い子?」そんな同級生の詰問に、私はキョドりながらも鼻が高かった。彼女はずっと、キラキラと輝いていた。
 
 
しかし彼女は当時もまだ、闇の中にいた。
それからずっと、彼女に会うことはなかった。
 
 
鬱で大学院を中退。愛知で就職。そして大阪に転職。気づけば私は30半ばになっていた。今の嫁さんの彼女とも、そろそろ結婚しようかな。でも昔破談になってるのが引っかかり、仕事に恋愛に迷走していた。
そんな時、久々に小学時代の4人組だったイサオと会った。懐かし話で盛り上がった私たちは、フェイスブックで小学校時代の友達を思いつく限り検索した。私は彼女の名前を入れた。いた。多分彼女だろう。酒の勢いということで、私は友達申請をし、久しぶりー!などとメッセージを送った。しかし返事はなかった。まあそうだよな、俺なんて忘れてるよな、とっくに家庭を築いて幸せになっているだろう。結婚するのが幸せかはさておき、当時はそう笑い、その後忘れていた。
 
 
2年後、私は結婚を控えていた。その頃、フェイスブックで彼女がひょっこり返事をくれた。こうして、私たちはフェイスブックで互いの近況を知り合うようになった。
 
 
今から2年前。小学時代のプチ同窓会ということで、あの4人組が揃った。余りにも懐かしい面々。彼女は彼氏はいたが、独身だった。なにか奥歯に物が挟まった物言いだったので、それ以上は聞かなかった。ハイテンションのイサオが場を盛り上げてくれ、同窓会あるあるで、とても甘酸っぱく懐かしいひと時だった。
 
 
そして先日。
ひょんなことから、私たちは再会した。今度は2人。少しだけお茶をしようということで。
ほんとイクメンだよね。いやいや、そっちも写真プロ並みやん。そんな他愛のない会話を経て、明かされたのは彼女の衝撃の過去だった。
 
 
機能不全家族で、小学時代から自分に全く自信が持てなかったこと。中学時代、壮絶なイジメに遭っていて、中学時代の記憶がないこと。高校卒業後、自分と同じ抑鬱病で苦しんでいたこと。拒食症を併発し、仕事にも支障がでてしまったこと。彼氏ができても、自分に自信が持てないあまり、いつもうまくいかなかったこと。自分の心の闇を克服するため、セミナーやセラピーに通い詰めたこと。そして彼氏は今いないけど、やっと最近治ってきたこと。
 
 
私は胸が締め付けられる思いだった。全然分からなかった。よりによって、あんなにキラキラ輝いてた彼女が。薄皮一枚取った人間の心の内側なんて、誰にも分からないんだけど。
 
言葉を失ってると、彼女が言った。
「◯◯(私の小学時代のあだ名)には、恥ずかしくて言えなかったんよ」
せめて、一言でも言ってくれれば良かったのに。俺も同じような経験をして苦しんでたんだよ。そう言いかけ、私は口を閉じた。言えないよなそんなこと。俺も同じで、彼女には当時の惨めな気持ちなんて、言えなかった。
 
私もこれまでのことを話した。彼女も同じで、全然わからなかったと、びっくりしていた。
 
「◯◯、よく頑張ったね。偉かったね。」
彼女の言葉に、私は目頭が熱くなった。
失敗や回り道をたくさんしたけど、無駄なことなんて何一つなかったんだ。
 
年齢を重ね、沢山の痛みや苦労を経験した彼女は、ますます綺麗な女性になっていた。懐かしさで、とても癒され、甘酸っぱい気持ちになり、胸がキュンキュンした。積もる話は尽きなかった。少しだけと言っていたけど、気づけば3時間が経っていた。
 
 
私たちはお茶を終え、そのままバーに向かい、カラオケで斎藤正義のずっと好きだったを歌い、夜のネオン街へ、、とはならず、お茶の後そのまま別れた。彼女は遠回りをして、私を駅まで届けてくれた。当たり前だけど、彼女も車を運転するようになってるんだなと、妙な感慨にふけった。
 
 
幼馴染の女性と2人で会う。
これって浮気なのか、賛否両論あるだろう。私は今の嫁さんや子供が大好きだ。 どうでもいい遊びならともかく、彼女とはそんな後ろめたい関係になりたくない。彼女にはなんというか、女友達、懐かしい心の友でいてほしい。あの甘酸っぱい想い出まで、壊したくはないのだ。
今はフリーとのことだけど、本当に、心から幸せになってほしい。山本美月の面影は健在だから、すぐに新しい彼氏ができるだろう。いい人いたら紹介するよ、、とは、言えなかった。
 
 
彼女と別れたあと、1人安居酒屋で、思いふけっていた。あのとき彼女が一言言ってくれてたら。俺も一言言ってたら。フェイスブックの返事がすぐきてたら。考えても仕方ないけど、人生の綾って、なんでこんなに繊細で複雑で切ないんだろうか。人との縁ってなんでこんなに不思議で儚く紙一重なんだろうか。脳内ではスピッツの「楓」が鳴り響く。
 
こんな気持ち、男なら酒場の隅に置いて来ないとね。そう思いハイボールを浴びていると、電話がかかってきた。
子供と義実家に帰ってる、嫁さんからだ。しかもFaceTimeだ。
「今日何してたの?ふと気になって。」
女の勘は本当に鋭い。そして恐ろしい。
画面の向こうには、優しい表情の嫁さん、そして笑顔の息子がいた。
これで、よかったんだよね。愛する家族を守るのが、今の俺の使命だ。
彼女とはもう会うことはないのかもしれない。これからも、SNSで近況報告し合えるような幼馴染でいれればいいな。
 
過去には戻れない。過去は美化されがちで、人生は常に紙一重、選択と決断の連続だ。だからこそ今を大切にし、前を向いて進んでいくしかないんだ。
明日から頑張ろう。そんな気持ちになれた夜でした。誰かスナックで一緒に懐メロ歌いましょう。

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