ページ コンテンツ

ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

理系、工学部って素晴らしい。エンジニアはカッコいい。頑張る技術者に贈るたった1つのこと。

スポンサードリンク

このブログで、理系や工学部を自虐的にディスる記事を書いてたら、ありがたいことに、コメントをたくさん頂きました。

その大半が、「私も理系、工学部、エンジニアを選んで後悔してます、どうしましょう」という内容でした。

 

もちろん嬉しいです。でも、類は友を呼ぶとは言うけど、相談する相手を間違ってるんじゃないか。

そんな疑念を胸にしまいこみ、長文のコメントを頂く度に、私なりに真摯に、時には上から目線で、長文で返信し続けてきました。

www.elep-peace.com

 

いつしかこの記事は、理系界で苦しむ難民たちの吹き溜まり、もとい駆け込み寺の様相を呈してきました。

結果、当該記事はこの「ぞうブロ」のNo.1記事に燦然と輝き続け、恥をさらし続けています。挙句の果てには、ツイッターでもほんの少しだけ拡散され、下手すると身バレ寸前です。

 

なぜこの記事を書こうと思ったのか。

そもそも貴様のような中途半端なクソ野郎が、偉そうに人様にコメントできる立場なのか。理系の落ちこぼれ代表にでもなったつもりか。

志高く、理系や工学部を選び、社会に出てからもその分野で活躍する方々に、失礼じゃないのか。

 

そんな誹謗中傷を浴びせられないかと、私はひそかに恐れています。

ネットで罵詈雑言を浴びせられ、名誉毀損で母校や会社から訴えられ、自宅に不幸の手紙が送りつけられないかと。

何より、じゃあなんでお前は理系、工学部を選び、今も技術職にしがみついてるんだよ。そんなツッコミを浴びそうで。

 

そんなことをふと思い、気づきました。

そうだ、理系や工学部、技術職に進んで、よかったことを挙げていこう。悪かったことばかりじゃない。

何より、私のブログの代表作が、自虐風ネガティブ赤面回顧録なんて、悲しい。

というわけで、前置きが長くなりましたが、理系・工学部に進み、エンジニアになってよかったことを、可能な限りポジティブに、振り返っていきます。

 

大学受験時代。

苦手な物理と向き合う代わりに、苦手な古文から逃げることができました。センター試験でやられましたけどね。

 

大学時代。

大学デビューを飾りたくて、モテたかったけど、工学部なので周りに女性はいませんでした。街にあふれるメスの気を引くため、目立つ必要がありました。

「こんなチャラい恰好をしてるけど、実は工学部で、頭いいんだよ」

女性にそう言ってもらうため、私は勘違いの限りを尽くしました。

髪を赤や金に染め、当時大ブームだったベッカムをマネてソフトモヒカンにしてました。完全にニワトリでした。

f:id:elep-peace:20190328005018p:plain

笑顔と苦言もしくは苦情 ニワトリ 苦情 吹き出し付き イラスト | gogon's magazine | Pinterest

さらに、古着を着こなそうとして、ホームレスみたいな風貌になりました。同じく古着を着こなしてた友人はアフロヘア―でしたが、どうみてもちびまる子ちゃんのお母さんでした。

 

ホームレスのニワトリとオカンが京都の街を我が物顔で闊歩する。外国人観光客に誤った日本文化を発信した罪で、よく前科が付かなかったものだと思います。

工学部とか理系とか関係なく、無い袖を振り回しても、女性の気を引くことはできない。それに気づいたのは、だいぶ後になってからでした。

でも、工学部に進んだおかげで、思い切ったオシャレを楽しめました。工学部と全然関係ないですね。

 

大学院時代。

実験三昧で、お金もなく、就活も上手くできず、工学部の世界は厳しいんだぞと、教えてもらいました。

大学院を中退したことで、フリーター体験ができました。研究者ってすごいんだなと痛感することができました。何より、周りが凄い人たちばかりで、自分が惨めになり、勉強についていけず落ちこぼれる人の気持ちが、痛いほど分かりました。あの時、人生を諦めなくてよかった。

 

社会人になってから。

新卒で入った自動車部品メーカーでは、1年目、ライン工員としてバングラデシュ人と半年間仕事ができ、国際交流を経験できました。

配属後、要素技術の開発が仕事でしたが、なかなか目が出ませんでした。嫌な上司に当たったのもあり、樹脂成形や金型開発は嫌いでした。

それでも、色々環境が変わり、開発したある技術の一つが、お客さん(ト〇タ自動車)のある部品に採用されたときは、嬉しかったですね。

しかし量産化がなかなかうまくいかず、生産準備支援でアメリカに一ヶ月弱行きました。

 

夢にまで見たアメリカへの海外出張が、こんな形で叶うとは。ニューヨークのマンハッタンなんかじゃなく、ミズーリ州のど田舎でした。

休みも全然なく、早朝から深夜まで工場に張り付き、現地の人たちと一緒に、設備と格闘する毎日。英語は気合。食事はサブウェイとマクドばかり。真冬で朝は-15℃。足が棒で、とにかく眠かった。観光は地元のデカいショッピングセンターで爆買いしただけ。それでも、本当に充実してて楽しかったです。夢だった海外出張が叶ったのだから。

 

結局、その部品はなんとか量産化できました。一年後、切り替えられましたけどね。

工学部関係ないけど、仲良し同期との出会いは一番の宝物ですね。彼らがいなければやってこれなかったです。

 

転職してから。

理系はつぶしがきく。そう聞いていましたが、つぶしはききませんでした。

有機化学⇒樹脂材料からの、全く未経験の機械設計。それを知ったのは入社後でした。まともに図面を書いたことなんてないけど、即戦力として川に放り込まれたのだから、溺れながらでも、死なないようにもがいて泳ぐしかなかったです。

 

CADや機械、製図の研修やテストでは、いつも最下位。中途採用のクセに全然使えねーなという、冷ややかな視線。大学院を中退した時以上に、落ちこぼれ感が半端なく、とても惨めで凹みました。

とんでもないところに来てしまった。転職当初は、ストレスで円形脱毛症になり、飯が食えなくなりました。ある日突然、視界の左半分がぼやんと見えなくなったときは、50%の確率で脳梗塞だと言われ、焦りました。結果は目と頭の過労だったんですけどね。

 

それでもやってると、不思議と分かってきて、できるようになるものです。まあそうしないとクビになるからだけど。

 

3年目。普段の設計の仕事を離れ、市場調査の仕事で、1か月ほどヨーロッパに出張したのはいい思い出です。技術部員という事で、特別に連れてってもらえました。

オランダの人は大きかった。アムステルダムの飾り窓のシャラポワ似の女性が綺麗すぎた。採れたてのホワイトアスパラに感動した。

f:id:elep-peace:20190328010933j:plain

ベルギーはメシが超美味しかった。ビールも美味だった。ちょうどEURO2016をやってて、ベルギー版松木安太郎にも会えた。

f:id:elep-peace:20190328011659j:plain

 

スペインは暑かった。パエリアがうまかった。レアルマドリードの本拠地に行けた。飲まされすぎて翌朝空港でバイオテロをした。

www.elep-peace.com

フランスでは懲りずにワインにハマっていた。パリは街が綺麗だった。

何より現地で、自分が作った製品がこういう使われ方をしているんだと、知ることが出来ました。

f:id:elep-peace:20190328011107j:plain

現地で一緒だった人たちとは、今も交流が続いています。転職して良かったと初めて思えたひと時でした。本当はもっともっと海外で仕事がしたいけど、それはまた機会があれば。

 

4年目、いきなり新機種の主担当を任せられたときは、嬉しさ1%、不安99%でした。機械1台まるまる担当だったので、本当に分からないことだらけで大変でした。ミッションやブレーキの設計なんてできねーし。鋳物とか油圧とか分かんねーし。

 

案の定問題が続出し、周りの部署や上司から何度も蜂の巣にされました。答えが出せず、何度やってもうまくいかないまま、時間だけがなくなっていく。スケジュールを守らないと、どれだけ損害や迷惑をかけてしまうか。アシスタントの爺さんは全然助けてくれない。

あまりに苦しくて、ある日、上司にもう主担当を降ろしてくれと言いました。上司は怒りました。

 

「馬鹿!俺たちが逃げたら、待ってくれているお客さんはどうするんだ!

周りに何を言われようが、俺たちは最後までやり切るしかないんだ!」

 

私は胸が熱くなりました。そうだ、やるしかないんだ、逃げられないんだ。ていうか、他に人がいませんでした。結局、量産を2か月遅らせる事態になってしまいました。今まで前例がない、とても難しい開発でした。協力会社の人から、私はわかってますよ、大変だろうけど頑張って下さいねと言われた時は、ありがたくて涙が出そうでした。

 

それでも、性能がOKになり、最後までやり切り、自分が担当した製品が世に出た時は、なんともいえない達成感でした。苦しんだ副産物で特許も出せました。正真正銘自分の開発した製品が、会社のHPやカタログに載り、工場で量産されていて、北海道から沖縄までいろんな使われ方をしてるのを見て、嬉しくて涙が出そうでした。苦しい事ばかりだったけど、いいこともあるんだなと。

 

今となっては、逃げなくてよかったと思っています。その後、新機種開発からは降ろしてくれと言いましたけどね。

今は、現行機種の問題対応をやってます。かつての新機種開発のように、時間に追い立てられることはなくなりました。

しかし根深い残存問題の対応は難しいし、自分が入る前の機械のトラブルで、品保や製造からひっきりなしに呼び出され、早く直せと叱られる毎日です。

 

おわりに。理系、工学部、エンジニアで苦しみつつも頑張る仲間たちへ。

もちろん、設計なんて嫌です。しんどいし、怒られてばかりだし。

異動したいです。転職したいです。仕事辞めたいです。

それでも、こう思うのです。

図面を変更できるのは、俺達設計だけだ。

困っているお客さん、工場の人たちを助けられるのは、俺達だけなんだ。

評論家には好きなように言わせておけばいいさ。その代わり完璧なものを作ってやる。

そんなささやかなプライドを胸に、今日もまた頑張ります。

 

年を取り、経験を重ね、ニワトリホームレスだった大学時代、勝手に絶望していた大学院時代からは、少しタフになれたのかもしれません。

 

そこには理系も文系も、工学部も医学部もない。できるかできないか、分かるか分からないかじゃない。やるかやらないかだけなのです。ああ、なんてブラック臭のする言葉でしょう。

某CMではないが、世界は誰かの仕事でできてます。仕事に文理も貴賤もない。どんな仕事でも、誰かの役に立っているのですから。

 

こんな風に自分語りしてしまうのも、技術系の性なのでしょうか。誰も聞いてくれないし、褒めてもくれないから。

自分で自分を褒めるしかない。落ちたテンションは、自分で上げていくしかない。

そう思う毎日です。だから今も、気持ちの落ち気味な自分自身に向けて、こんな痛い長文を書いてしまってます。

 

あとどれくらいこの理系人生が続くか分かりませんが、できることを精いっぱい頑張っていこうと思います。カッコ悪くても不器用でもいい、コツコツやってれば、たまにはいいこともあるだろうから。困っている人を助けていれば、いつか自分が困ったとき、助けてくれるかもしれないから。

 

なので、理系、工学部、エンジニアの皆様。 頑張っている理系以外の皆様。

しんどいことも多々あります。たまには愚痴っても休んでもいいです。だけど諦めず、一歩ずつでも頑張っていきましょう。よりよい未来のために。疲れたら、一杯飲んで寝て、また明日、頑張りましょう。

 

スポンサードリンク