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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

奈良マラソン2017初挑戦体験記。設計者と新聞記者兼僧侶、動ける中年デブ決定戦。

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2017年12月10日。中高時代の友人とともに、奈良マラソンを走ってきた。これは、日々の激務に疲弊した中年設計者と、中年敏腕記者兼僧侶の、壮絶な「動ける中年決定戦」の完全密着ドキュメントである。

 

 

なぜ僕たちは、奈良マラソンに挑戦したか。

松坂世代の私たち。私たちにはそれぞれ、走る理由があった。

友人は、某大手新聞社で働く、敏腕記者だ。身長は185cmを超え、体重は100kgに迫る巨漢。人懐こくて憎めない、愛されキャラだ。しかし、辛い離婚で心身ともにショックを受けていた。だが心機一転、出家を志し、見事僧侶の免許を取得。勢いは止まらず、全国の裸祭りを転戦。釣りが好きで船舶免許も取得予定。そんなアクティブな彼は、彼女絶賛募集中だ。

多様性に溢れた彼だが、昨年の衆院選対応での激務に加え、練習で足を骨折。トレーニングは全くできてないらしい。それでも、「リタイアは承知の上。参加することに意義がある」と豪語し、もののけ姫の乙事主のごとく、四国からはるばる海を渡って、奈良にやってきた。

奈良マラソンのエントリーは先着順で、かつ奈良県民に有利なので、県外の人にとっては抽選が厳しい。でも彼が頑張ってくれたおかげで、私も参加することができた。

 

一方の私も、仕事のピークがきた上に、練習の1人ハーフマラソン(歩き)で、足を負傷。おまけに連日の暴飲暴食で、体重は90kgに迫る(身長は181cm)。 しかし、出産を控えている妻を勇気づけるため、逃げ出すことはできない。ブヒブヒー、ンゴンゴッ!  (痛みに耐えてフルマラソンを完走することで、君の陣痛を何割か吸収してあげるよ)」そう無責任に豪語し、不安な中、当日を迎えた。それが思い上がりであったことは、後日妻の出産に立ち会い、明らかになる。

 

決戦前日。地獄の大魔王。松井さん。参加賞Tシャツ。

前日受付。寒いし、駐車場が近くにない。奈良が誇る地獄の大魔王が、不敵な笑みを浮かべてお出迎え。

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その腹でフルマラソンを走る気か?冗談は、顔だけにしておくんだな。ここに来た勇気だけは褒めてやる。だが明日は、この世の地獄を、たっぷり味わわせてやろう」

そう言ってる気がしたが、無視する。

 

受付完了。もらったパンフレットをチェック。

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安心と信頼の有森さん。よく見ると、大魔王も走るらしい。こいつにだけは負けない、と思ったら、3kmかよ。大口叩いたくせに、ビビったなこの野郎。

あと松井さん可愛い。スタートのとき、視線を頂きたい。ちなみに友人は、記者会見で、石原さとみさんの視線を2秒間も独り占めしたことがあるそうだ。生石原さとみさんはあまりに綺麗すぎて、文字通り、息を飲んだらしい。羨ましい。2秒でいい、松井さんの視線が欲しい。

 

参加賞のTシャツ。前。真っ赤。鹿さんだ。

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後ろ。玄武が書かれた渋カッコいいデザインだ。背景の畳は気にしないで頂きたい。

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Tシャツもらえたからもういいだろう。一瞬そんな考えがよぎったが、気合を入れなおす。

当日。

スタート前。

寝坊できないプレッシャーであまり眠れず、5時半起き。9時スタートは早い。前日泊まればよかったかな。何が嬉しくて、参加費8400円を払って、休日早起きして、寒い中、痛みと苦しみに耐え、42.195kmも走って、筋肉痛をお持ち帰りするのだろう。ドMの極みじゃないか。でも、その答えはきっと、完走後に分かるはずだ。

奈良駅からシャトルバスに乗り、 7:50に会場到着。ギリギリだ。既に人がいっぱい。着替えて友人と合流。彼は某独立リーグの野球チームのコスプレをしていた。さすが高知担当の敏腕記者だ。リュックには、ドリンクやサプリメントがたっぷり。左手にはGPS機能付きウォッチ。やる気満々のようだ。彼の手を見ると、何やら数字が。各関門での足切りタイムらしい。

おまけに、手ぶらの私に、栄養サプリをくれた上に、「これつけとかないと、乳首が死ぬぞ」といい、乳首ガード用バンドエイドまでくれる用意周到ぶり。完璧な準備だ。

しかし、彼は1つ、大切なものを忘れていた。ランニングシューズだ。なんでも、前日、四国から来る途中に気づいたとか。急遽、新品のランニングシューズを買い、今朝箱から出したらしい。私は、数時間後に彼を容赦なく襲うであろう靴ずれの痛みを、案じずにはいられなかった。

目標タイムは、5時間切り。といいたいところだが、まずは完走だ。

88kgの私と、94kgの友人。動ける中年デブはどっちだ。決戦の火蓋が切って落とされた。

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スタート。地獄の始まり。

9:00、スタート。スターターの松井さんの視線を頂きたかったが、目は合わず。早くも暗雲が立ち込める。

奈良マラソン完走に向けて、私が用意したプランは次の3つ。

  • きつくなるであろうアップタウンと後半に備え、序盤は6分30秒/kmくらいのスローペースで進める。
  • 20kmまでは、給水しない。
  • 20km以降は、なりゆき、気合、根性。登りは歩いても可。

もはやプランと呼べる代物ではない。練習では20km走るので精一杯だった。しかし、とにもかくにも、レースは始まった。

 

私は友人と走り始めた。マラソン大会のスタート地点は、本当に賑やかで、よし行くぞという気持ちになる。この雰囲気の中、走れるのは、楽しいし幸せだ。

3kmすぎまで、友人は走りながら、喋り続けた。しかし5kmすぎ、友人の口数が減り、息が荒くなり始めた。私が目を向けると、彼は声を絞り出した。

「きつい。俺に構わず、先に行ってくれ」

そう言うと、友人は馬群に沈んでいった。彼の分も頑張らなければならない。私はそう誓った。

早くも一人旅だ。しかし、これでいい。そもそもマラソンとは、自分との孤独な戦いなのだから。

 

 

前半。人が多く、なかなかペースが上がらないが、これくらいでちょうどいい。奈良公園を過ぎて、10kmすぎから、恐れていた天理市への激しいアップダウンが始まる。これを往復するとか、正気の沙汰ではないとビビる。

しかし中間地点までは、予定どおり、一度も給水を取らずに折り返せた。中間地点のタイムは、2時間32分。相当スローペースだ。でも後半頑張れば、もしかしたら5時間を切れるかもしれない。淡い期待がよぎった。同時に、息が苦しくなり、足が痛くなってきた。「練習でできないことは、試合でもできない」そんな言葉が脳裏をよぎった。

折り返し地点を過ぎ、我慢していた給水を解禁。その途端に、私の頭の中は、「次の給水まであと何kmで何が出るか」しかなくなった。完全に食べ走り状態。でもまだ、歩いてはいない。

 

25km地点くらいだろうか、噂に聞いていた天理教本部にたどり着いた。

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そこで頂いたぜんざいだ。甘さと温かさが、疲れた体に染みた。美味かった。 

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しかし、足はそろそろ限界に近付いていた。天理教を後にして28km地点くらいだったか、給水所の「塩グミ」を食べた時だった。「ガリッ」嫌な感触が口の中に残った。そう、歯の詰め物が取れたのだ目の前には、今まで走ってきたあの地獄のアップダウンが見えてきた。30km手前、登り坂に差し掛かった時。私の心はあっけなく折れた。

 

 残り10kmからゴールまで。歯が取れた。

 

残り12km、ここからは本当に地獄だった。登り坂では、もはや走ることが出来ない。しかし、30kmすぎ。「zohbey君!!」聞き覚えのある声が飛んできた。振り返ると、友人、、、ではなく、会社の先輩だった。これは本当に心強く、勇気づけられた。「もう少し行けば、美味しいそうめんが食べられるよ」そう言い、数km引っ張ってもらった。そしてありついた三輪そうめん。写真を撮り忘れたが、私の中ではぜんざい超えのうまさだった。本当においしかった。

そうめんを食べた直後、私は「どうぞ、お先に言ってください」と先輩に言った。5km前に馬群に沈んでいった友人を思い出した。だいぶ前のことのようだ。先輩は「じゃあ、お先に。頑張ろうね」と言い、笑顔で走り去っていた。ありがとう先輩。あなたがいなければ、私は時間内に完走できなかっただろう。

 

残り10kmを切った。両足が限界突破し、まさに地獄の苦しみだ。せんとくんの言葉が思い出された。ごめんなさい、せんと様。地獄の大魔王とか言ったのは謝るから、足の痛みを取ってくれ。いや、そんなことは考えてなかった。足が痛い。次の給水はまだか。早く終われ。それだけだった。

地獄の山道がようやく終わった。行きのときは面白いオッサンやなと思うくらいだった忌野清志郎が、神に見えた。彼の歌声と、コスプレのおじさん。心と足にパワーをもらった。

 

沿道の応援の方々。ボランティアの方々。演歌歌手、ロっクンローラー、太鼓、アコーディオン、ブラスバンド、忌野清志郎。本当に本当に、力を頂いた。これは実際走ってみないと分からないことだ。普段仕事で頑張っても、罵倒こそされるが褒められることなんてない。それがどうだ。ここでは、勝手に応募して勝手に走ってるだけなのに、応援して褒めてくれる。こんなありがたい話があるだろうか。皆さん、本当にありがとう。

 

そして、ようやくついに、40km付近。時間制限の6時間が、やばいと思うときもあった。しかしここまで来て、時間切れリタイアだけはするわけにいかない。 

 41km。「zohbey~!!」聞き慣れた声だ。あの友人が、沿道から声を飛ばしていた。彼はがあの後、力尽きた事だけは分かった。手には、スタート時に山ほど持ってた栄養ドリンク。それを私に渡し、叫んだ。「行け~!俺の分まで、頑張れ~!!」その声は、私に最後のパワーを与えてくれた。思わず、涙がこぼれた。

トラックに戻ってきた。あと数百mでこの地獄も終わる。有森さんと本日三度目のハイタッチ。神戸マラソンでもハイタッチしてくれたけど、奈良マラソンでは、数km地点、10数km地点、そしてゴール直前の3回もハイタッチしてくれた。有森さんありがとう。いつもパワーをもらえます。

 

ついに、ゴール。

タイムは、5時間40分。ネットでも5時間27分。

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目標の5時間切りには遠く及ばなかったが、完走(完歩)はできた。それに、この両足の痛みで、出産を控えた嫁の陣痛をいくらかでも吸収できただろう。当時はそう信じていた。

 

ちなみに友人は21kmでリタイア(時間切れ)したそうだ。5km付近のあの状態から、新品のシューズで、よく21kmも頑張ったな。彼なりの根性を見た気がした。

完走賞は、タオルとメダル。

メダルが結構シブい。

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終わりに。奈良マラソンを終えて。勝者はどちらか。

そういや、動ける中年デブ決定戦とか言ってたな。

たしかに、普通に考えれば、二人とも負けだ。フルマラソンにまともに挑戦するには、練習は少なすぎ、体重は多すぎた。でもいいじゃないか。二人とも、それぞれの環境、状況で、それなりに頑張ってベストを尽くせた。それにいい思い出もできた。というわけで、二人とも勝者だ。私たちはビールとラーメンで、祝杯を挙げた。

マラソン後のビールとラーメンの美味さは、味わった人にしかわからないだろう。なぜ休日朝早く起きて地獄の苦しみを味わってまでマラソンを走るのか。その答えが、このビールとラーメンに詰まっていた。f:id:elep-peace:20180219230515j:plain

もう二度と、やりません。

次こそは、5時間切るぞ!!

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