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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

冬季オリンピックで絶対外せない感動シーンを2つだけ振り返る。

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平昌オリンピックが始まりましたね。

始まる前は、政治だ運営だ平壌五輪だムンチャン五輪だと、外野の話題ばかりがクローズアップされました。でも、いざ見始めるとやっぱり面白いし、ワクワクするし、感動する。

この機会に、特に私が印象深かった冬季オリンピックの名シーンを、独断と偏見でピックアップしてみました。時期は、長野(1998)からソチ(2014)。私がどっぷりはまった時期で勝手に限定させて頂きました。と思ったけど、あまりにもありすぎるので、思い切って二つに絞りました。

 

 

1.男子ジャンプ団体戦 感動の金メダル (長野1998)


98長野五輪スキージャンプ団体 感動の金メダル

まずはこれを挙げないわけにはいかない。

切り込み隊長・岡部孝信。抜群の安定感・斎藤浩哉。ジャンプ界のブライアント・原田雅彦。そして世界一美しい飛形のエース船木和喜

前回のリレハンメル五輪、最後原田が普通に飛べば金メダル確定だったのに、まさかまさかの大失敗。失意の銀メダル。あれから4年。

切り込み隊長岡部に続き、いぶし銀の斎藤が大ジャンプ。幸先いいスタート、、と思いきや、続く原田が、またも大失敗ジャンプ。悪天候もあったが、当時テレビで見ていた私は、さすがに原田に怒りの声を上げました。「おいっ!!」日本国民の9割以上がおそらく同じ思いでいたはずです。原田はきっと、もう二回目を飛びたくないと思っていたに違いないでしょう。その心境、想像するだけで胸が締め付けられそうです。船木がなんとかまとめるも、この時点で日本は4位。原田の大失敗ジャンプが影を落としていました。

その後、コンディションが悪化し一時中断、そして再開。2回目。岡部が大ジャンプし、日本に勇気を与える。岡部のピンクの勝負服と黒いマスクがかっこよすぎた。斎藤がつなぎ、いよいよ原田の2回目。上の動画では、原田は当時の心境を「できるだけ、できるだけ、遠くに飛ぼうと思っていただけです」と語っています。一体どれだけのプレッシャーがあったんだろう。リレハンメルに続いて、またも日本国民から戦犯扱いされ、大バッシングを受けてしまう。

頼む、ホームランは要らないから、普通に飛んでくれればいいんだ。これ以上、原田に戦犯という名の罪を着せないでくれ。みんな祈ったことだろう。しかし空振り三振か、場外ホームランかのどっちかなのが原田の魅力。その一発が、この土壇場で出ました。「高くて、高くて、高くて、いったぁ~~!」最長不倒の137m。私は叫びました。飛び終えたあと、原田はすでに泣いていました。「ふなきぃ~~」には笑ってしまいましたが、どれほどの重圧に耐えて、あのビッグジャンプを飛んだのだろう。その気持ちを思うと、泣けます。そして、アンカーのエース船木が、世界一美しいジャンプで、日本の金メダルを確定させました。

なお、どっぷり観たい方には、コチラがオススメです。いかに厳しいコンディションだったかが分かります。


長野五輪ジャンプ団体 完全版 1/21

そして、海外の懐かしい名選手たちにも注目です。フィンランドのアホネンと、ポーランドのチョビ髭のアダムマリシュ、好きだったなあ。のちに無双するスイスのシモンアマンもいますね。

1998年長野オリンピックのスキージャンプ競技 - Wikipedia

 

このとき、のちにレジェンドと呼ばれるあの葛西紀明は、ノーマルヒルこそ7位入賞したものの、団体メンバーからは漏れていました。この時の屈辱と悔しさが、45歳になった今でも失われない競技へのモチベーションになっていることは、周知の事実です。ソチで葛西が銀メダルを獲ったときは、思わず涙しました。よくぞここまで頑張ってきた。執念と努力があれば、いつかは夢は叶うと、本当に勇気づけられました。今回で8回目のオリンピック(!)のレジェンド葛西は、どんなジャンプを見せてくれるのでしょう。葛西に続く新星の登場にも期待です。

※TOP写真はこちらから拝借しました

写真特集 - 長野五輪ジャンプ団体で金メダルを獲得し、両手をあげて喜ぶ原田雅彦選手(左)ら=1998年2月17日、白馬ジャンプ競技場で - スキージャンプ団体、日本勢が飛んだ五輪の軌跡 - 2014ソチオリンピック(五輪):朝日新聞デジタル

 

2.浅田真央 神がかった伝説のフリー (ソチ2014)

 


浅田真央(mao asada) ソチ伝説のフリー ~ 演技中の実況解説無し 【疑似4K 高画質 高音質 永久保存版!】

 

かつてこれほど、メダルを獲らなかったのに、感動を与えてくれたパフォーマンスが、オリンピックであっただろうか。

浅田真央ほど、日本国民から愛され、かつオリンピックで悲運に涙したアスリートはいないでしょう。

ライバル・キムヨナの存在もありましたが、オリンピックでの浅田真央の演技だけは、ドキドキして心配で、まともに見られませんでした。15歳にして世界女王に君臨していたトリノは出場できず。バンクーバーではキムヨナに敗れ失意の銀メダル。憎たらしいほど強いキムヨナが演技するたび、恥ずかしながら「頼む!こけてくれ!」と心の中で祈っていました。「次こそは悲願の金を」周囲の期待と重圧だけは増す中迎えたソチ。集大成として挑んだショートでまさかの16位と大きく出遅れ、メダルは実質消滅。そんな中迎えたフリー。ここから自分の過去ブログを引用するというまさかの荒技。

トリプルアクセルはじめ6種類の3回転ジャンプ8つをすべて成功。鬼気迫るステップシークエンス。美しく力強い完璧な、神がかった演技。そして終了後の彼女の涙。「これが浅田…真央です」と声を詰まらせるアナウンサー。感無量の表情を浮かべる佐藤コーチ。142.71点で自己ベストを叩き出しながらも、キスアンドクライで少し笑って申し訳なさそうにペコッとする姿。何回見直しても、本当に涙が出ます。

www.elep-peace.com

何度書いても泣けてくる。おじさんは真央ちゃんには本当弱いんだ。

 

そういう意味では、今回のジャンプの高梨沙羅さんも同じタイプなのかもしれない。圧倒的な実績と実力がありながら、ソチではまさかの4位。「今度こそは悲願の金を」と期待と重圧が増す中、ルンビ、アルトハウスという強力なライバルが出現。国内でも伊藤をはじめ新星が台頭。メディアの注目度も高く、ときにはメイクだベンツだと競技以外のことで叩かれたりもした。でも、今回の平昌で、やはり日本女子ジャンプのエースは高梨だという事を強烈に印象付けてくれました。銅メダルも嬉しかったですが、彼女の悔しさと安堵感の入り混じったインタビューに涙腺をやられました。

 

スピードスケートの高木美帆さんもそうですね。彗星のように現れ、スーパー中学生と期待されながら、バンクーバーでは12位。ソチでは代表になることすら叶わなかった。そんな挫折から、血のにじむような努力をして、今回見事銀メダルを掴んだ。それでも金を取れなかったと悔し涙を流せる彼女は、まだまだ強くなるでしょう。

個人的には、小平奈緒さんにも期待です。高木同様、今までなかなか開花しなかったけど、ここ最近爆発的な強さを見せている彼女。だからこそ、五輪の魔物が彼女を襲う事だけは、避けてほしい。普段通りの実力を出せば、きっと望む結果を得られる。ここまで苦しんできたんだだから、どうか彼女にベストの納得いくスケーティングをさせてあげてほしいです。女子のスピードスケートの選手は、可愛い中にも精悍なカッコよさがあって好きです。

メダリストといえば、モーグル銅の原大智さんもカッコよかったなあ。モーグルは冬季オリンピックでもベスト3に入るくらい好きな種目。コブの嵐を凄まじいスピードで滑って行くのがたまらん。原くんはすごい強心臓で、男前。中学時代に毎週東京から新潟に練習にいったり、カナダで武者修行したり、大変やったやろうに、それを感じさせないのがすごい。親孝行なところもいい。親御さん感無量やろうなあ。いい育て方したんだろうなと思います。

 

おわりに。

「メダルを獲ると獲らないでは、天と地の差がある」とは、決して大げさではないと思います。メディアの取り上げ方も全然違う。それは仕方ないことだ。先に挙げた浅田真央さんのソチフリーは特殊な例外で、たいていの場合、文字で結果が淡々と表示されるだけだ。だけど、今回、惜しくもメダルに届かなかったアスリートたち。みんなそれぞれに、この4年間、血のにじむような努力を続けてきて、日本国内の厳しい代表選考を勝ち抜いた天才たちだ。だからこそ、オリンピアンのパフォーマンスは、これほどまでに私たちの心を打つのだろう。背負っているものが違うのだ。あなた達は日本の誇りだ。どうか無事ベストを尽くして、胸を張って帰ってきてほしいと思う。

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