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ぞうブロ~ぞうべいのたわごと

妄想を武器に現実と闘う、不惑のエンジニアのブログ

がんばることと、すごいこと

先日、名古屋で嫁さんの友達家族と会う機会があった。東海出身の嫁さんが学生時代、オーストラリアに短期留学して以来友達だという、オーストラリア人の旦那さんと韓国人の奥さん、そして10歳の男の子と7歳の女の子。我が家は友達家族同士で会うことも滅多にない。なのにまさかの国際交流。彼らの話は聞いていたが、会うのはもちろん初めて。自分の拙い英語が通じるのかとド緊張。でも緊張していたのは自分だけではなかった。

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燃えよぞうべいズ2025

遠い夜空にこだまする

子供の夜泣きを耳にして

2階の寝室につめかけた

両親(ぼく)らをじーんとしびれさす

いいぞ頑張れ ぞうべいズ

燃えよぞうべいズ

 

一番次男が熱を出し

二番長男胃腸炎

三番嫁さん癌になり

四番ぞうべい鬱になる

いいぞ頑張れ ぞうべいズ

燃えよぞうべいズ

 

DQNのパワハラとめどなく

キラマのモラハラ終わりなく

サボりジジイは姿消し

頼みのマッスル席離れ

いいぞ頑張れ ぞうべいズ

燃えよぞうべいズ

 

職場で仕事で鬱になり

家事で育児で鬱になり

実家義実家で鬱になり

税金保険料で鬱になる

いいぞ頑張れ ぞうべいズ

燃えよぞうべいズ

 

五番次男が大暴れ

六番長男吐きまくり

七番嫁さん鬼になり

八番ぞうべい鬱忘れ

いいぞ頑張れ ぞうべいズ

燃えよぞうべいズ

 

長男次男は回復し

嫁さん治療を乗り越えて

パワハラキラマは改心し

実家に雪解け兆しあり

いいぞ頑張れ ぞうべいズ

燃えよぞうべいズ

 

仕事の愚痴は駅に捨て

家では笑顔でボケ倒し

ピアノで自分の機嫌取り

荒んだ心に火をともす

いいぞ頑張れ ぞうべいズ

燃えよぞうべいズ

 

僕も家族も願ってる

祈る気持ちで待っている

それは一言当選だ

10億当ててワイハーだ

いいぞ頑張れ ぞうべいズ

燃えよぞうべいズ

 

がんばれがんばれ ぞうべいズ

燃えよぞうべいズ

 

今日も頑張ります。

違うな。なんとか今日だけ凌ぎ切ります。

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https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD059PA0V00C24A4000000/

 

参考

https://youtu.be/9NAy385FntQ?si=ziqToDwnZ7ETLFyt

2004年オレ竜verも好きですが、やはり星野中日verが熱くて好きです。推しは今中、山本昌、ゴメス。ちなみに元近鉄バファローズファンです。

 

 

近況報告

2025年あけましておめでとうございます。と言いそびれて気がつけば3月も中頃になってました。少し近況報告をば。

 

嫁さんはこの二月から職場に復帰を果たした。去年乳がんが発覚し、バレンタインの日に手術をして、はや一年。緩めの抗がん剤に変更したことが功を奏し、しんどい副作用もなく髪も抜けず生活にも支障なく、一年後検診でも再発は見られず。よくここまで戻ってこれたと思う。嫁さんは本当によく耐え忍んだ。日常を取り戻せたのが嬉しい。今後は緩めの抗がん剤を1年少し飲み、それから9年はホルモン治療。どうか無事寛解してほしい。そして今の日常に感謝して楽しく過ごしていきたいと思う。

 

小1の長男は、相変わらずのこだわり全開で元気。人とのコミュニケーションは依然苦手な模様だけど、一旦何かに興味を持つとトコトンはまる。この前は世界の国旗にハマり、197カ国のみならず、台湾とかハワイ州とかの準国旗?までも完璧に覚えてしまった。パパが本気を出しても勝てない。それが嬉しい。今度親子で国旗検定を受けに行く。本人にとって何かしらの自信になってくれれば。

 

次男は、年少とは思えない堂々たる貫禄と圧倒的なコミュ力でパンダ組に君臨している。生活発表会ではセンターを勝ち取り誰よりもバカでかい声で元気に歌っていた。こんなに安心して生活発表会を見られるとは。昨年の長男の大荒れ生活発表会で5者面談をしたのが夢のようだ。どこへ行くにも消防車、トミカ、プラレール。その陽キャさは周りを笑顔にしてくれる。

 

長男は打率は低いけど当たれば物凄いホームランバッター。次男はなんでもこなせるトリプルスリー。二人とも、性格が全然違って面白い。時に喧嘩をしつつ、腕白でもいい、逞しく育ってほしい。

 

先日は、両親が自分の家に来てくれた。数年振り。最近正月にも帰省してなかった。全ては、モンスター妹により実家がめちゃくちゃに分断されてしまったため。一番苦しかった去年も、実家に頼ることはできなかった。そんな両親が、「捺印してほしい書類がある」と突然やってきたので、まさか絶縁状かと身構えた。

しかし実際は、親戚との裁判に書類が必要だからという些細なことだった。うちの実家は散々親戚や近隣トラブルに巻き込まれてきたので裁判くらいではもはや驚かない。

ともかく、久々の両親と再会。妹の話はタブー。子供達がじいじばあばと遊ぶ、そんな日常にひそかに感動していた。嫁さんがオカンと話し込んでる間、僕は親父と語り合った。サシで語るのはいつ以来だろうか。話題は農業。実家は5反ほどの小さな兼業農家。昨今のコメ不足、零細農家の未来、実家の農地をどうするか。僕がずっと話したかったことだった。まだまだ話し足りないが、一つ夢が間に合った。帰り際、最近軽い手術を終えた父親に快気祝ということで、近所のロピアで買ってきた一番高い肉を持たせた。自分達も食べたことのない肉。夜、肉おいしかったよありがとうとメールが来た。今度は両親を大阪万博に連れて行く予定。ここ数年間できなかった親孝行を少しでもやっていければと思う。

 

そして自分。職場は相変わらず過酷。仕事内容も人間関係も。年末年始、ぽっかりと空いた時間で少し振り返っていると、動悸が止まらなくなった。ああもう限界だな。そして異動願を書き上げ、上司のキラーマシンに渡した。10年間設計の仕事をやってきましたが、どうしても自分はしんどいです。今年中に仕事を整理して異動させて欲しい。そんな本音をぶつけた。キラマは驚きつつ預かってくれた。ではどこに異動したいのか。はっきりとここに行きたいという部署は、今の会社にはない。それを見つけようということで、異動は保留になっている。鬼のキラマも優しくなったし、仕事の負担自体は減らしてもらったし、このまま様子を見るか。それとも。転職、別業種への挑戦か。今更出来ることなんてない。いや、今からでも何かできるはず。色々手当たり次第にやってみよう。そうしてもがいた数ヶ月だった。

そのうち、頭のモヤモヤが取れず、胸が苦しくなってきた。自分は何も出来ない、何の価値もない人間だとしか思えなくなった。自己肯定感はゼロになり、何もする気力が無くなり、布団から出られなかったり、一人になると勝手に涙が出てきたり。訳もわからずイライラして大切な人に当たってしまったり。自分でもわかった。ああ、これは本格的にあかんやつや。近所の心療内科は全て初診お断り。仕方がないのでオンライン受診を探している。でも知っている。抗不安薬や診断書は、たしかにお守りや気休めにはなる。でも本質的に復活するためには、結局自分の目の前の問題に対峙し解決していくしかないことを。自信喪失してしまったら、またゼロから積み上げていくしかない。できることを一つずつ。そんな感じで日々何とか会社に向かい、ギリギリ凌いでいる。

もちろんしんどいことだけじゃない。最大の楽しみは、週末のミゾウズリサイタルだ。男子大学生の体と象の頭部を持つ関西弁の怪しく陽気なおじさん、ミゾウ綱紀。昨年爆誕したミゾウさんとして、ピアノの弾き語りやカラオケを全世界に生配信。まさに気がふれたとしかいえない破廉恥な暴挙。でも楽しい。ストレス発散になるし、遊びに来てくださる方々もいる。その方達に元気を与えるつもりが、逆にいつも、元気をもらっている。まさに元気の分かち合い。親愛なるクグツの皆はん、ほんまおおきにやで。感謝感激雨アラシで涙ちょちょぎれるで。これからもよろしゅう。よっしゃ、気張っていくでっ!違うな。ぼちぼちいかせてもらいます。知らんけど。

ちょい疲れが出た?違うな。時間があると余計なことを考えて負のスパイラルに堕ちてしまうんや。だから目の前を少しでも明るく楽しいことで埋めていくんや。自分の機嫌は自分で取るんやで。知らんけど。

 

少々とか言いながら長くなってしまいました。しかも自分語りが一番長い。そういうとこやでほんま。平にご勘弁を。

今年も宜しくお願いいたします。

2024年を振り返る

こんにちは、ぞうべいです。訳あって最近は別の名前で活動してるので、少し懐かしい気がします。

大晦日なので2024年を簡単に振り返ります。

正直、本当に大変な一年でした。

一月に嫁さんの乳がんが発覚し、手術やら抗がん剤やらで今年の2/3が過ぎました。3ヶ月間の抗がん剤Aを耐え切り、後半3ヶ月の抗がん剤Bの途中、白血球の値が戻らず、身体が持たないということで、Bより長期間(2年)服用が必要だけどマイルドな別の抗がん剤Cを飲みはじめています。しんどい副作用がほぼなくなったのがとても大きい。おかげで日常生活を問題なく過ごせてます。もちろん効果が弱い分、再発の確率は上がる。でも数%の確率に怯えるよりも、1日1日を大切に楽しく生きたい。ほんまエボンの賜物やで。

長男も小学校に慣れてきて、相変わらずスペ全開ですが、友達が遊びに来たりと、幼稚園では考えられなかったほどに成長してます。この前サプライズで手紙を書いてくれて、パパみたいにおおきくなりたいと書いてくれてて、ほんま泣きそうやったで。

次男はますます口が達者になり、幼稚園で番長ポジに君臨している模様。物おじせずに愛嬌を振りまき大人達をメロメロにするできる男。家ではしょっちゅう兄弟喧嘩してますが、元気で仲良くやってくれてます。週末恒例となった男3人旅でも、行けるエリアが増えて嬉しいです。

自分はというと、仕事では、上司にパワハラを食らってホットラインに相談したり、ノールック野郎やDQN共に何度も不愉快な思いをさせられました。実家の問題もさらに大変になり、正月の帰省は出来なくなりました。正直今年は助けてほしいと思うことも多かった。 これまで十二分に助けてきたつもりなのにと、キツいときもあった。

でもそんな日々があったからこそ、Twitter/Xであのミゾウ綱紀キャラを生み出せたのは、我ながら会心の一撃でした。誰にも愚痴文句を言えない中、しんどいこともミゾウ構文でセルフポジティブ変換することで、自分が救われていました。さらにそれを面白がってくださるたくさんの方々にも出逢えました。世界のミゾウの誕生は偶然?違うな。必然や。知らんけど。

今年一番の思い出は、アメリカ出張のとき、マイアミのストリートピアノで、ロマサガ3のポドールイを演奏出来たことです。さらに、サガやゲームを全く知らない通りすがりの女性が「その曲の名前を教えて下さい、とても素敵な曲ですね、教えてくれてありがとう、聴いてみるわ」と言ってくれたのが最高にロマンシングでした。素晴らしい音楽に、国境はない。伊藤賢治様、感謝しかございません。そうツイートしたら、まさかのイトケン様ご本人からいいねとリツイート頂けて、感謝感激雨嵐でした。

いいことばかりじゃないけど、悪いことばかりでもなかった。会社でも、マッスル氏のような味方になってくれる方もいました。嫁さんの看病の中で義両親とは仲良くなれたし、両親にもアメリカ土産を送れた。

それに年末、夢のような素晴らしい出逢いや再会もありました。

毎日頑張ってたら、ご褒美が降ってくるんだな。そんなことを強く感じました。

お世話になった皆様方、本当にありがとうございます。

 

来年の目標。あまり考えるとしんどくなるし、どうせ想定外のことも沢山起こる。なのでふわっと3つだけ。

・健康第一、安全第一

・ポジティブで時にはアホな挑戦を

・世界のミゾウ新企画スタート

まああと1時間弱は2024年なので、紅白を楽しみつつ、来年のことは来年考えます。B'z凄かったなあ。

 

2025年もどうぞよろしくお願いいたします。

良いお年を!気張っていくでっ!

自閉症スペクトラムの息子が小学生になり半年がたった

久々に、自閉症スペクトラムと診断された、可愛い長男のその後を書いてみようと思う。

幼稚園の卒園式で、奇跡の逆転サヨナラ満塁ホームランをかっ飛ばし、晴れて小学生になった長男。

(参考)卒園式 終わりよければ 全てよし https://blueeleson.hatenablog.com/entry/graduate_kindergarten

 

真新しいランドセルを背負い、本人は意気揚々。親は不安一杯。みんなと一緒に座って授業を受けられるのか。発表会や運動会の類はどうなるのか。そもそも小学校まで無事辿り着けるのか。幼稚園でのトラウマが頭をよぎる。

入学前、小学校と幼稚園が丁寧に情報を共有頂いたおかげで、長男は通常クラスと支援級を掛け持ちし、サポートの先生がついてくださることになった。嫁さんが闘病中なので、僕は会社のフレックス制度を使わせてもらい、毎朝長男と一緒に登校する日々が始まった。

5月、いきなりの山場。運動会。彼が死ぬほど嫌いなダンスプログラムが沢山。案の定練習が始まると、彼は小学校に行きたくないと言い出した。蘇る幼稚園のトラウマ。大丈夫やで。できなくてもいいから。怒らないから。

本番、何が起こっても褒めてあげよう。幼稚園での学びを活かして。しかし長男は、優しい同級生にも助けられ、なんとか迷惑をかけずに頑張っていた。すごいじゃないか。静かな感動。

 

急成長には理由があった。長男は小学校で、大好きなものに出会った。算数だ。

思えば彼は、一歳頃から、数字がとても好きだった。自閉症スペクトラムと言われる子には多いらしい。毎日1000まで書けとせがまれ、お絵描き帳は呪文のように数字で埋め尽くされ、腕が攣りそうだった日々。幼稚園の頃、覚えたての足し算に大興奮し、毎日足し算を書いてくれとせがまれ、公文みたいなプリントを山ほど作らされ、腕が攣りそうだった日々。

そして小一になった彼は、算数のドリルを手放さない。食事中も、寝る前も、外出時も。朝起きた瞬間から寝る寸前まで。いや寝言でも算数の話をしている。おもちゃよりも算数ドリルをせがむ。勉強しろとは一度も言ったことはないし、言うつもりもない。逆にもう勉強をその辺でやめておけと言ってなだめる日々。

療育や放課後デイにも良くしていただき、大好きな算数を思う存分やらせてもらった結果、 引き算に加え、掛け算を覚え、今は割り算に興味津々。大きな数を見ると大興奮し、好きな数字は一京(けい)。漢字を見ても画数を即答。森は何て読むの?12かく!みたいに。

凄いなあ。凄いじゃないか。算数ができるのが凄いんじゃない。そんな子はごまんといるだろう。それよりも、好きなものを見つけ、それにハマり続けているのが凄いし嬉しい。

 

なお算数以外は、からっきしだ。国語では漢字は数字に変換され読めない。ひらがなは読めるが濁点をいつも忘れる。生活や道徳もそんなに。体育、音楽は大嫌い。とにかくみんなで一緒に何かやることが大の苦手。連絡帳に書かれたことが分からず困ることも。いつ(=when)?の意味が分からない。友達はいないわけではないけど、わいわい遊ぶでもなく、一人で教室にいるのが好きらしい。

孤高の一匹狼。ええなあ。尖ってるやん。

 

そんなこんなで、小学生になって半年がすぎたある日。

そういえば、もうすぐ、授業参観があるね。得意の算数の授業。長男はクラスで一番にできるかもね。しかも支援級だから事前に内容を教えてもらえるし。今の長男なら余裕やな。

そんな期待をもちながら、体調がマシになった嫁さんは、意気揚々と授業参観に向かった。

 

その日の夕方。嫁さんから電話。落ち込んでいる。これはまた何かあったな。

聞くと、長男は、得意な算数で、事前に問題が分かっていたにも関わらず、プリントの完成が一番遅かったそうだ。字を丁寧に書きたくて何度も書き直ししてたらしい。4人でグループワークをすると言われても、1人だけその意味が分からない。さらに嫁さんには、クラスメイトの女の子が話してるのが聞こえたらしい。

「長男くんは、◯◯だから、できなくてもいいよ。」

◯◯は本当に聞き取れなかったみたいだけど、なんとなく想像がつく。

 

「家では出来るのに、学校では出来ない子やと思われるのが、悔しいし、歯痒い。結局、幼稚園から変わってないね。今回はいけると思ったんやけどなあ。」

「お疲れさんやったな。そりゃそうやで、そんなすぐ変わらへんよ。これが、自閉症スペクトラムなんやってことなんやろな。」

家では勉強も会話も問題なく出来る。算数は人並み以上と言ってもいいだろう。

でも、集団が極度の苦手。何かの本で読んだけど、自閉症の子は、教室で授業を受けていても、ノイズみたいなものが混じり、先生や周りの言うことが自分の頭の中まで届かないそうだ。自分の居場所が分からなくなるというか。落ちつかないのはそのためだそうだ。きっと長男も、そんな世界の中で一生懸命頑張っているんだろう。家であれほど算数にはまってるのは、ようやく見つけた自分の居場所が嬉しく心地よいからなのかもしれない。

 

しばらく話し合い、僕たち夫婦は一つの結論に辿り着いた。

学校は、集団行動に慣れる場所。極端に言えば勉強する場所ではない。なので学校の成績が悪くてもいい。きちんと小学校に行き、教室でみんなと一緒に座っているだけで、凄いことなんだから。

勉強なら、家や療育でやればいい。手が攣ろうが腕がもげようが、付き合ってあげればいい。

 

その夜、僕たちは長男をとても褒めた。よく頑張った。えらかったよと。

勉強なんかよりも、今の素直さを忘れずに、彼の世界、彼のペースで進んでいってもらえたら。尖った性能は、なかなか使いにくい。けど、ハマる場所があれば無双級の活躍ができる。ロマサガRSの話?違うな、長男の話や。

 

そして今朝もまた、僕は長男と一緒に小学校へ。半年経ったので、そろそろ一人で行けるはず。だけど今はこの15分間が貴重な時間。彼は相変わらず、握った手を離そうとしない。

「きょう、おんがく?みんなで、うたうの、いや。」

「せやな。パパも歌は嫌やったんや。大丈夫やで、歌っとるフリしといたらええ。」

「ふりって、なに?100かける10はせん!」

小学校に着くと、彼はルーティーンとなった僕とのタッチをこなし、何度も振り返りながら、ひとり校舎に消えていった。小さく不安げな背中。でも半年前に比べれば、きっと大きくなったんだろう。

自閉症スペクトラムだろうがなんだろうが、結局は人それぞれ、得意不得意があるだけのこと。トータルすればみんなそんなに変わらない。素直で優しい心さえ持っていれば、この先も大丈夫だと信じている。

 

その姿を見送り、僕も会社に向かう。パパだって会社に行きたくないさ。だけど親父が示さないとな。週末の自称リハーサルに向けて頑張ろう。そこで生歌配信しようかな。小学校の歌が苦手でも、大人になればこうなるから大丈夫さ。違うな。こうはなってほしくないな。

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抗がん剤変更

前回記事

 

2週間のアメリカ出張で僕が時差ボケに苦しみつつ呑気にアメリカかぶれしてる間、嫁さんはたまたま抗がん剤を中断中(白血球回復待ち)で、ワンオペに奮闘してくれた。しかし途中、珍しく「なんのために生きてるかわからなくなる」と弱音を吐いていた。

帰国後、出張先のマイアミ、嫁さんの行きたいランキングトップ3に入るアメリカ有数のリゾート地、そこで買った山ほどのお土産を渡し、マイアミの美しい写真を見せ、病気やら何やらが落ち着いたら、いつか必ずここにみんなで行くよと約束した。

時差ボケはつらいし、お金もかかるけど、気合でなんとかなるやろう。僕と違って嫁さんは英語が出来るし。知らんけど。

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その後すぐ、嫁さんの治療方針が決定。白血球の数値はやはり戻らず。当初計画していたT療法(注射、副作用強い)ではなく、TC1(経口、効果少し弱い、副作用マシ)を2年間飲み続けることに。

副作用はマシになる。髪の毛もこれ以上抜けなくてすみそうだ。というか現状思った以上に髪は残っている。しかしがんの再発率は上がる。再発したら即ステージ4。

どう言おうかと思案してたら、嫁さんが言った。

「ほっとしたよ。もうあの抗がん剤のしんどい副作用がないと思うと。」

そして言った。

「もし再発したら、その時はその時やね」

そう。未来を恐れすぎても仕方ない。今この時間を大切に生きる。これは今出来るベストの選択。そう思い、黙って頷いた。

明日死んでもいいように、今この瞬間を大切に懸命に生きる。分かってるけど難しい。日常の惰性は強力。そんな中でも、少しずつでも、やりたいこと、やるべきことをやれたらいいな。違うな。やらないといけないな。

抗がん剤、ハワイ治療に切り替えて

嫁さんの乳がん抗がん剤もいよいよ後半戦。大変だった4回のFEC治療を乗り越え、残り4回のT治療へ。そのはずだった。

白血球の数値が2200。基準値下限の3000まで戻っていない。1週間延期しても戻らず。元々高い方ではなかったが、ここまで戻らないとは。

医師は言った。

このまま抗がん剤を続けると、死にます。身体が耐えられません。

まずは白血球の数値を回復させましょう。そして別の方法を考えましょう。

3週間待ち、ホルモン治療をしながら、白血球の自然回復を待つことに。

もしそこで数値が戻れば、T療法ではなく、経口タイプの抗がん剤(TC1)を1年間飲み続ける。

もし戻らなければ、抗がん剤は諦め、ホルモン治療だけにするとのこと。

抗がん剤を止める、あるいは変更することで、副作用、特に髪の抜けは軽減する。しかし再発のリスクも高まる。

診察を終えた嫁さんは、電話口で言った。

もう抗がん剤はしんどい。T療法を受ける気力がない。経口タイプでいきたいけど、それも無理かも。もし再発したら、運命だと受け入れる。残された二人の子供をお願い。

そして続けた。

飛行機に乗って、どこか南の島に行きたいな。

海外ビーチリゾートが大好きで、独身時代、旅行会社の仕事で、プライベートで、何度もハワイやグアム、ミクロネシアの海を飛び回っていた嫁さん。

しかし転職、結婚し、子どもができてからは、全く行けてなかった。当たり前だけど時間もお金も余裕もなかった。

ハワイが最高だけど、行けてグアムかな。9回行ったけどね。沖縄もいいな。海外じゃなくてもいいから、久々に飛行機に乗りたいな。

そう笑う嫁さんに、僕は言った。

抗がん剤が落ち着いたら、みんなでハワイに行こう。

僕は勿論ハワイに行ったことはないけど、嫁さんがハワイの話を喜んでするのを何度も聞いていた。天国みたいな場所だと。これまで7回行ったけど、何度でも行きたい。もし私が亡くなったら、ハワイの海に散骨してほしいくらい。そう言っていた。

一瞬驚き、どこにそんなお金があるのと笑う嫁さん。

金なら何とかなる。家にいくらあるか知らんけど。ポイ活で何とかなるで。知らんけど。

旅行?違うな。治療や。ハワイの空気を吸えば、がんも消えるよ。知らんけど。

内心はハッタリだったが、嫁さんは本気になったようだ。猛烈な勢いでプランを探し出した。間も無くそこそこのプランが見つかった。

そうやね。頑張れば、行けそうな気がしてきたわ。

そこそこといっても大変にお高い。円安だし。3日ほど会社を休まないといけない。色々準備調整もある。

でも既に目を輝かせている嫁さんを前に、残念〜ドッキリでした〜とは口が裂けても言えない。僕自身も、最近色々疲れていたし天国の癒しがほしい。

よし、行こう。目標は半年後や。

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https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/9KEQ1.amp

言うは易し行うは難し。現実は課題山積。金は天下の回りもの。回ってきた試しはないけど。

でもやるしかない。 できない言い訳より、できる理由を。見るなら闇より光を。最悪自分だけ国内残留でもいいや。僕には会社という天国があるからね。

拝啓 台風10号様 ※追記

はじめまして、ぞうべいと申します。来たる9月、私は久々の海外出張を控えておりました。行き先は自由の国アメリカです。パワハラ上司と和解し、理不尽な仕事を耐え抜いた先にふっと舞い降りた、まさに神様からのご褒美、千載一遇の奇跡でした。

9月1日に、同僚と二人で伊丹空港から羽田空港へ移動。あわよくばロマ佐賀イベント、ロマサガbarにお邪魔し前泊。そして9月2日、いよいよアメリカへ出国。アメリカのテキサス州ダラス空港に到着後は、仲間と合流し、国内フライトを乗り継いでメキシコ国境近くのお客様を訪問。元々弊社製品の不具合に激怒しているお客様にジャパニーズ土下座の力を見せつけ、テキサスステーキで和解。その後フロリダ州へ。マイアミビーチ近くのお客様を訪問し、現地休暇はマイアミでビキニのチャンネーを拝みながらリフレッシュ。さらにカリフォルニア州へ飛び、お客様を訪問し、あわよくば大谷翔平氏の勇姿を拝む。テキサス州に戻り報告を済ませた後は、意気揚々と凱旋帰国。海外の空気を吸い、やる気に満ち溢れ、男としても腹回りも一回り大きくなって帰ってくる。

そんな未来を夢見ておりました。いえ、準備は全て完了し、あと数日で夢が叶うところでした。

 

しかし。あなたは全てをぶち壊してくれました。やたらノロノロしてる台風がいるなあ。まあそのうちどこかに行くか、上陸しても大したことなく終わるだろう。そんな油断を知ってか知らずか、貴方はちんたらノロノロしつつ、太平洋からふんだんにエネルギーを吸い上げ、気づけば過去最強クラスの勢力に成長。貴方の予報円を見た私は仰天しました。関西を発つ9月1日に関西上陸。そして羽田から日本を発つ9月2日に関東上陸。まるで迎撃ミサイルかストーカーのように私にピタリとついてくる貴方。

正直に申します。張り倒したいです。ぶん殴りたいです。締め落としたいです。

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貴方のおかげで、私の出張は、めちゃくちゃになりそうです。まだ確定ではありませんが。なぜ未確定かって?それは貴方の進路が未確定だからでしょ。ふざけるのも顔だけにしてください。

出国は少なくとも1日遅れるでしょう。ロマサガイベントにはもちろん行けません。そしてフライト、ホテル、出入国書類、Wi-Fi、社内の出張稟議書、そして出張計画。全て貴方のせいでやり直しです。同僚は先に行くとかで一人旅になりました。おまけにテキサスのダラス空港からメキシコ国境付近の激おこお客様のところまで、一人で辿り着かないといけません。仲間が先に土下座しに行くからです。ロマンシングな冒険ができてよかったねって?殺しますよ。ただでさえ怒っておられるお客様訪問に大遅刻。その場で撃たれ、自分がテキサスステーキにされてもなんら文句は言えません。またそのせいでフライトがずれ、マイアミ近くでの現地休暇がなくなりそうです。この出張の唯一最大の目的、ビキニのチャンネーを奪った罪は万死に値します。さらに大谷翔平氏を見る時間もないでしょう。なぜならアメリカを発つ日は変わらず、報告書で求められるアウトプットは変わらないからです。神様のご褒美どころか罰ゲームです。

貴方に問いたい。私に、日本に住んでる方々に、一体なんの恨みがあるんですか?なんですか進度ゆっくりって。呑気ですか?なんですか進路は不確実性が非常に大きいって。気まぐれですか?ノロノロ呑気な気まぐれ旅では飽き足らず、知らん間にアホみたいにデカくなって、バカみたいに雨風を降らせて、日本中に多大な迷惑をかけて、みんなの週末や予定をぶち壊して、嬉しいですか?せめて一言、謝ってください。そして速やかに西の方にでも去って下さい。でないとその目を潰しますよ…

 

さあ仕事しよう。皆様ご安全に。

 

※追伸

貴方にこの声が届いたのか、翌朝の進路予想図をみて驚愕いたしました。f:id:elep-peace:20240829083516j:image

貴方はわざわざ私のフライト日に進路を変え、大阪に寄り道いただくとのこと。
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今日も大混乱の一日が始まります。

現実は戦場、だからASMRで脳洗浄

憂鬱な通勤。満員電車に揺られながら、僕は目を瞑り、いつも通りお姉さまのASMRの動画を再生する。今日はNIKKEのバイパー様にお願いしよう。そして両耳に全神経を集中させる。瞬く間に喧騒と憂鬱が消えていく。聞こえるのは、耳元で囁いてくれるお姉さまの悩ましい吐息まじりのお声だけ。 目を閉じたまま、無意識に顔が上向く。鼻の下は伸び、マスクの下は半笑いに。まるで温泉に浸かりながら、全身を優しく揉みほぐされ、脳みそを優しく溶かされているよう。いや実際に脳が溶けている可能性も否定できない。

満員電車からバスに乗り換える。バイパー様の耳掃除が始まる。なんというリアリティ。耳掃除どころか、脳を鷲掴みにされ、まるごと洗浄されているよう。まさに究極のいやらし。違うな。癒し。

吐息が大きくなってきたところで、バスが会社に到着。しかし立ち上がることができない。スッキリとムラムラが溶けた脳内でせめぎ合い、腰は砕かれ、生まれたての仔鹿のよう。それでも立ち上がる。ストレスフルな仕事が待っているのに、これじゃ仕事にならないな。でも大丈夫。ふやけきったおっさん仔鹿の耳には、どんな罵詈雑言も届かない。バイパーちゃんのお声が耳元でずっと響いているのだから。

これが無料だなんて、なんて素晴らしい時代なんだ。 世界の紛争地域でこれを流せば、きっと戦いは終わる。ASMR、そしてVRを発明した方にノーベル医学賞ならびに平和賞を。今日も乗り越えられそうです…

https://youtu.be/YUb5YBmavwQ?si=s5WQtPSARHzcMV_y

 

このクソ記事は夏休みを前に浮かれながら書いたものです。現実は辛いことばかり。まさに戦場。そんな時こそASMRで脳洗浄していきまっしょい。

闇は光でしか消せない

抗がん剤4回目も無事乗り越えた。前半4回は最もきついFEC療法、後半4回はT療法。途中白血球の値が戻らず2回(2週間)遅れたり、量を4/5に減らしたりはあったけど、地獄のFECを乗り越えた。 頭皮冷却療法も辛かったそうだけど、おかげでまだ髪の毛もだいぶ残っている。

本当によくやったよ嫁さん。

夏休みはちょうど、4回目の副作用が落ち着き、平和に外出ができた。近くの川で川遊びをしたり、電車の旅に出かけたり。穏やかな夏休みだった。実家を除いては。

 

いつもは僕の実家に帰省をしていたけど、ここしばらくは、帰っていない。キ◯ガイ妹の件が酷すぎるからだ。最近は妄想が出てきて、警察沙汰になりかけたり、家に監視カメラをつけると騒いでる模様。長年の妹の件で疲弊摩耗したのか、すっかり茹でガエルになった両親は妹を刺激しまいと疑いすらしない。緩やかに崩壊していく実家を見過ごせず、僕は意を決して恥を忍んで第三者機関に相談した。警察と役所。

そしてまずは両親を、一緒に専門家に相談しに行こうと説得した。しかしダメだった。妹が可愛くないのか可哀想だろうが悪口ばかり言ってと聞かない母。家の恥を外にしゃべりやがってと怒る父。無力感と孤独感に苛まれる。実家を諦めたい。せめて自衛だけはしよう…この件は、改めて、別で書こうかな。気が向けば。決して向かないけど。

一つだけ言いたいのは、家族、心の友に、どれほど救われたかわからない。

自分の事を大事にしてくれない人なんて大事にしてあげる必要はない。もっと大事にしてくれる人を見て、その人(達)を大事にしたほうがいい。楽しい方向を向いて、楽しい関係や居場所を作ったほうがいい。

そんな言葉を言ってくれた。本当に感謝しかない。支えてくれた恩は一生かけても返す。闇は光でしか消せないのだから。

 

というわけで、夏休み明けの今日、いよいよ嫁さんは抗がん剤後半戦に挑む。そのはずだった。しかし、出鼻をくじかれた。白血球の数が戻ってない。延期。もし来週も戻ってなければ、後半の抗がん剤T療法は中止すると言われた。

経口タイプの弱い抗がん剤か、それもだめなら抗がん剤治療自体をやめてホルモン治療だけにするか。もちろん副作用は楽になる。しかしそれは、がんの再発率が上がることを意味する。もし万が一再発したら、即ステージ4。

落胆する嫁さんの愚痴を、電話で聞くことしかできなかった。

嫁さんは言った。ごめん、ふと、死が脳裏によぎってしまった。こんな時に、くだらないこと(僕の実家の問題)で悩むのが、腹立たしいし勿体無い。もうやめよう。一緒に楽しいことを考えよう。

そうやな。とりあえず抗がん剤が落ち着いたら、南の島にでも行こう。初めての家族での海外旅行やで…

 

仕事、家事、育児の日常に加え、最近はいろんなことがありすぎて、もはやよく分からない。そういえば嫁さんが車を擦ったな。そういえば僕が中耳炎になったな。そういえばピアノ全然練習できてないな。そういえばNIKKEでエヴァコラボはじまったな。 そういえばロマサガRSやる事ないな。

そんなことはもはや些細なこと。違うな。保健の等級は上がるし、耳は痛い。何はともあれ、健康第一、安全第一ですわ。

取り止めのない乱文失礼いたしました。

急転直下のアメリカ、抗がん剤4回目突入

三回目の抗がん剤の嫁さんの様子は、1週間は全く動けず、残りの2週間は元気そうだった。白血球の数値も問題なく推移。予定通り4回目を打てそう。だいぶ慣れてきたのかな。週末は焼肉ランチで抗がん剤前恒例の決起会。肉で抗がん剤の副作用も夏バテも吹き飛ばす。

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自分はというと、パワハラまがいの上司とは和解。第三者とか大ごとにせず、直接話してよかった。それが関係したわけではないが、9月、急転直下行くはずのなかったアメリカ出張に行けるように。その前の新人歓迎会で、たまたま同僚の隣に座った現場の先輩が、僕を熱烈にプッシュしてくれたらしい。その場に呼ばれ、酔っ払った僕は、そんか上司との遺恨などすっかり忘れて、ありがとうございます!行きます!と言ってしまった。びっくりしたけど本当に感謝。ほんの2週間前、パワハラだ異動だ転職だと騒いでいたのに、この変わりようにもびっくり。

もちろん不安もある。仕事の内容もだけど、何よりこんな状態で、家を2週間もあけることが一番心配。抗がん剤直後に重なったら大変。なので、当初は辞退するつもりだった。飲み会では思わず気持ちが出てしまったけども。やっぱりやめようかな。そう悩んでると、束の間元気になった嫁さんが猛ゲキを飛ばしてきた。「ずっと行きたかったんでしょ!せっかくの機会なのに、辞退なんて勿体無い!自分、家のことは大丈夫だから行ってきて!私のせいで行けなかったと言われるのが一番嫌!お土産よろしくね!」海外大好きな義理親にも早速言ったらしい。義理親もなぜか喜び、僕が不在の間、来てくれる気満々らしい。

こうなったら、行くしかない。灼熱のテキサス、フロリダ、カリフォルニアで、本場の夏バテを楽しんでこよう。土産は大谷選手のグッズかな、買う時間があるとありがたい。

 

そして昨日、4回目の抗がん剤を注射。抗がん剤よりも、髪が抜けるのを防ぐための4時間にわたる頭皮冷却がしんどいらしい。おかげでまだそれほど髪は抜けてない。しかし抗がん剤の副作用が出るのがだんだん早くなっているとか。昨日は昼打って、夕方には早くも気持ち悪さで意識朦朧だった模様。これまで通り、顔色は真っ青だった。義理親も昨日夕方から来てくれている。おそらく今週土日まで副作用は続くだろう。そして義理親もいてくれるだろう。気は休まらないが、ありがたい。正直自分もしんどいと思う時もある。でも自分が倒れるわけにはいかない。

大丈夫 白目を剥いて 余裕です 

ぞうべい心の一句。

抗がん剤、まだ半分。違うな、残り半分。よし、今日も気合いれてきます。

 

不思議で素敵な友達

「おはよう」「おはようございます」

おっ、今日も居た。

朝。通勤で使う高架下のバス停。その近くで、一人佇む彼を見かけるようになったのは数ヶ月前。彼は30〜40代くらいだろうか、バスを待つわけでもなく、大量の荷物を持ち、雨の日はいないこともあるけど、基本いつもそこにいて、行き交う車を眺めている。そして、通行人を見つめながら、何やら独り言を喋っている。イヤホン越しでは何を言ってるのかは分からなかったが、真顔で何かを通行人に言ってるのは分かる。反応する通行人は見当たらない。

子供が見れば、「変なおじさん」と言うだろう。大人が見れば、「知的障害の方かな」と思うかもしれない。

よく見かける、ちょっと変わった人。それが第一印象だった。

 

ある日、彼が僕の方を見て何か言っている気がした。いつも以上に視線を感じた僕は、気になってイヤホンを取った。彼と目が合った。おそるおそる少しだけ近づいてみた。

彼が言っていた言葉は、「おはよう」だった。彼は、通行人に挨拶をしていたのだ。誰も気にしていないので気づかなかった。僕は思わず、「おはようございます」と返した。

それから毎朝、彼との挨拶が日課になった。彼の姿を確認できれば、イヤホンを取り、少し近づく。おはよう、おはようございますと挨拶を交わす。バス停に向かうまでの、数秒間のやりとり。雨の日、彼がいないと、ちょっと気になる。そんな日々が続いた。

 

そして先日、挨拶の後、彼が何か話しかけてきた。聞き取れなかったので、僕は足を止め、彼にもっと近づいた。彼は辿々しい口調で言った。

「昨日、阪神、勝ったなあ」

僕は返した。

「ええ、サヨナラでしたね」

阪神ファンというわけではないが、たまたま直前にニュースを見ていた僕は、そう合わせた。すると彼は、にっこり笑った。まるでピュアな阪神ファンの少年のように。

 

ふと、昔の記憶が蘇った。

小学校低学年くらいのとき、近所に重度の知的障害の子がいた。年は一つか二つ下。彼はうまく話せず、発する言葉は唸り声のようだった。そんな彼と、近所の公園で出会ってから、僕はよく一緒に遊ぶようになった。母親に、あの子と遊んでおいでと言われたのがきっかけだったと思う。

最初は正直怖かった。彼が何を言っているのか分からなかったし、彼が自分達と少し違うのも分かったから。でも悪い子じゃないこともすぐに分かった。ブランコや砂場で遊んでいる時の彼は、本当に嬉しそうだったから。

でも友達の中には、そんな彼を心なくからかう人もいた。ある日、友達たちと公園に行ったとき、彼が一人で遊んでいるのを見て、友達の一人が彼を酷い差別用語でからかったことがあった。彼は悲しそうな、不思議そうな顔で、こちらを、いや、僕を見つめていた。

だけど僕は、その友達の蛮行を咎められなかった。彼に駆け寄って一緒に遊ぼうと言うことも出来なかった。自分が仲間外れにされ、自分も同じように言われるのが怖かったからだ。その時の罪悪感は鮮明に覚えている。

 

その後のある日、僕は、弟と彼、彼の弟(弟もまた知的障害者だった)の四人で遊んでいた。何もなかったかのように。いつもの公園で楽しく遊んでいると、見知らぬ女性が少し離れてこちらを見ていた。彼らのお母さんだった。

お母さんは、泣いていた。

なぜ、泣いているんだろうか。次の瞬間、僕は思った。この前、僕が消極的ながら酷いことを彼にしたからかもしれないと。

もしかしたら僕は、彼を利用してるだけなのかもしれないなと。障害を持つ子と遊んでやってる自分は「優しくて良い子」。そう大人達にアピールをしてるだけなのかもしれない。

だって他の友達と一緒の時は、揶揄う友達になにも言えず、彼と一緒に遊ばなかったのだから。

本当の友達なら、あの時自分は咎められたはずだ。

自分は、偽善者だ。卑怯者だ。

なんというか、そんな気持ちがして、子供ながらに申し訳ない気持ちになったのをよく覚えている。

それから約半年後、彼の姿を見かけることは無くなった。どこかに引っ越したと後から聞いた。その後のことは分からない。

 

大人になり、自閉症スペクトラムの可愛い息子を授かった今、あの時のお母さんの気持ちが、少しは分かる気がする。極度の人見知りの息子が、公園で友達と楽しそうに遊んでいる姿を見ると、胸が熱くなる。あの時のお母さんも、同じ気持ちだったのだろうか。そう思いたい。

今なら、胸を張って言える。シンプルに、彼は僕の友達だった。そして今なら、心無い言葉を吐く人間には目もくれず、彼に駆け寄るだろう。打算も世間体も何もない。彼は友達なのだから。

 

最近出会った阪神ファンの彼の話に戻る。

僕たちは毎朝、他の通行人の目線も気にせず、大きな声で挨拶、時には世間話を交わすようになった。「暑いですね〜」「梅雨、明けたんかな〜」。

今朝は結構話した。「オリンピックまで、あと、2週間やな」「そうなんですか!楽しみですね」「ブレイキング、あるな!」「そうみたいですね、追加されたやつですね!」「そうや!(ニコッ)」

話し終えると彼はどこかへ歩いて行った。もしかして、僕を待ってくれていたのだろうか。

このたわいもない会話が、少しでも彼の幸せにつながっていれば嬉しい。少なくとも僕はこうして、幸せ、活力をもらっている。

 

彼のことは、何も知らない。彼が知的障害かどうかも分からない。彼にとってもそれは同じ。僕のことなんて何も知らないだろう。

でもそんなことはどうでも良い。だって僕らは友達なのだから。

三回目を乗り越えた

先週火曜日に打った三度目の抗がん剤の副作用は、だいぶ辛そうだった。もう辞めたい、しんどい。嫁さんがそう言い続けたのは、一回目以来だったか。

副作用のピークがようやくピークを超えたのは土曜日。その間義両親が来てくれてたけど、まあ今回はしんどそうだった。何とか乗り越えた模様。ジーラスタの副作用の微熱はまだ残っているが。お祝いとばかりに、近所の魚太郎で奮発ランチ。美味しかった。嫁さんは大好物のエビフライにかぶりついていた。

三回目を乗り越えた。よしあと五回。

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今週は三連休。よし自分も少し休める。そう思った自分が甘かった。ひたすら子供と遊ぶ日々。プール。電車。男旅。 奴らのスタミナは無限。こちらは有限。今回電車に乗った回数は三日間で11回。家でも電車の動画ばかり。おかげで自分も電車博士に慣れそうで嬉しい限り白目。でも家族で難波に出かけられるくらい嫁さんが回復して良かった。

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そして三連休明け。すでに体力はボロボロ。また嫌な仕事が待っている。憂鬱になる気力さえない。ひとつ夢が叶うなら、朝から晩まで、いやせめて昼前まで、ゴロゴロダラダラ寝ていたい。もう一つ欲を言えば、その時にゲームをしたい。サガエメラルドビヨンド。ドラクエ3リメイク。ロマサガ2リメイク。さらに欲を言えば、ピアノを練習しまくりたい。駄文を書き連ねたい。もう一つ言えば、ちとせよしのさんの写真撮影会に行ってみたい。そうすると時間がない。ゴロゴロしてる場合じゃない。結局はやるしかない。いつか倒れるかも。それならそれでいい。家のローンや生活費は自分の生命保険で何とかなるやろうし、知らんけど。

大丈夫、自分には通勤時間という自由がある。そこで鋭気を養おう。そして週末のピアノ&カラオケリサイタル(自称)に全てをぶつけよう。でも週末は会社の歓迎会やったか。担当の新人君3名のためにも行かないといけない。でもリサイタルはやりたい。こうなったら新人くん達を連れてリサイタルに付き合わせるしかないかな。

3回目の抗がん剤、上司のパワハラ、SNSのネガティブ

3回目の抗がん剤を無事打ってもらうことができた。なかなか白血球の値が戻らず2週間延期した2回目と違い、スケジュール通り。また、体調もいい期間が長かった。2回目の抗がん剤の量を4/5に減らしていたことも関係しているのかもしれない。まだ3回目。しかし全8回中3回まできた。

 

そのおかげか、僕は自分のことで悩む余裕があった。

上司に新人の前で理不尽に叱責され、酷い、無責任だなどと言い捨てられ、落ち込んだ。見せしめ的教育。そもそも他の人が教育担当をしないから自分がすすんでやっているのに。新人教育にやりがいを感じて頑張ってたのに。無責任はひどい。異動や。辞めてやる。文句を行ってやる。

社内の第三者相談窓口に駆け込み、色々アドバイスをもらい、結論、一週間後、第三者を介在させず、上司との面談で一対一で直に嫌だった事を伝えた。叱責はいいけど、せめて新人君の前ではなく、個別にお願いしますと。異動もクビも覚悟だった。声が震えた。

上司は、バツの悪そうな顔で言った。

「実は自分も言いすぎたと思っていた。自分の悪い癖だ。一週間もしんどい思いをさせて悪かった。直さないといけない。今回勇気を振り絞って直接言ってくれてありがとう」

ほっとした。しかし

「でも君もこういうところが〜、新人教育とは〜」といつもの説法も忘れなかった。思わず笑ってしまった。この上司も、自分も、そう簡単に変われない。だからこそ、相手への理解とリスペクトを忘れてはならない。

第三者相談窓口にも御礼をした。第三者の介入は、無しで済んだ。

それが先々週、先週の話。

土日の息子達との男旅でLP(ライフポイント)と引き換えに気力を回復させた今週。まだ自分のダメージは正直完治していない。しかし気持ちを前向きに切り替えて頑張る。自分の機嫌は自分で取るしかない。大丈夫、自分にはロマサガRSとNIKKEの水着イベント、それに週末のぞうべいリサイタル、要するにピアノとカラオケがある。

 

話を戻そう。3回目の抗がん剤を打った嫁さんは、当日夜からしんどそうだった。1回目と同じくらい。気持ちが悪くて起きられない。心配する息子達を寝かしつけ、心を鎮めようとする。

しかしSNSには、都知事選に挑戦した元候補達を過剰に叩く言葉が溢れている。戦い終えた人達に対するリスペクトのかけらもない心無い言葉達。そらいじめもなくならんわ。他人を叩いても自分の順位が上がるわけではない。むしろ汚れ、下がるだろう。でもネガティブな言葉の力は、ポジティブな言葉よりも、残念ながら強い。ネガティブな声にかき回され、自分も闇堕ちしてしまいそうになる。いや、闇堕ちしてしまった。自分の庭を汚い言葉で汚してしまった。大いに反省。しかし言った内容に後悔はない。だから削除はしない。同じ過ちはしないぞという自分への戒めも込めて。

 

そんなこんなで、眠れないまま、朝を迎えた。どんな状況でも、朝は来る。子供達を送迎し会社へ。上司を気にしてる余裕なんてない。

今日からはまた岐阜から義両親が看病に来てくれる。僕の胃は痛むが大変助かる。今週末のぞうべいリサイタルは無しかな。来週に期待しとくれやす。

いつか戦いは終わる。なんとか一日一日を、凌いでいこうと思う。

おおきくなったらなりたいもの

嫁さんの抗がん剤(2回目)の副作用が出てきた。量を4/5に減らしたとはいえ、一回目と変わらずきつそうだ。それに加えて、白血球を増やすジーラスタの副作用も。微熱とだるさで動けない模様。

土曜まで義母がきてくれていたので、非常に助かっていた。僕の神経はすり減るが、義母との距離もだいぶ縮まったと思う。しかし副作用のピークが、翌日の日曜に襲ってきたようだ。僕もワンオペの疲れがたまってしまい、法事の返しをアポなしで持ってこようとする自分の親の対応にも疲れ果て、些細なことから、子供の前で、少し嫁さんと喧嘩をしてしまった。一番やってはいけないことだ。

小一の長男はびっくりした目で僕を見つめ、年少の次男はママをいじめるなとばかりに僕に怒りの目を向けた。

喧嘩自体はすぐおさまり、その後、寝込む嫁さんを家に残して男3人で夕食に出かけようとしていた時。次男がポツリとつぶやいた。

「○○○(次男の名前)、おいしゃさん。ママ、いたい、くすり、なおす。」

僕は驚いた。将来医者になれとかは、もちろん一言も言っていないのに。いつの間に。

改めて聞いてみた。

「次男は大きくなったら、お医者さんになりたいの?」

次男は頷き、いつも以上に大きな声で言った。「○○○、おいしゃさん!」

正直、感動した。かしこく、優しい子やなあ。次男ならお医者さんになれるよ。そしてママの痛みを取り払えるよ。がんばろうな。僕ははにかむ次男の頭を撫でた。

ちなみに長男にも聞いてみた。

「長男は大きくなったら、何になりたいの?」

長男はボソッと言った。

「つりかわ。」

「??あ、大きくなったら電車の吊り革が持てるようになるのが嬉しいってことね。いやそうじゃなくて…」

「すうじ。」「数字?」

「しょうがっこう。」

「?!そうか、小学校の算数の先生になりたいんやね」

長男は頷いた。軽度の自閉症スペクトラムなので、人とのコミュニケーションは苦手。そんな彼が先生になれば面白いな。苦手だからこそ出来ない人の気持ちが分かり、親身になれるだろうしね。

ご飯から帰り嫁さんにその話をすると泣いて喜んでいた。次男はママの前では恥ずかしがって言わず、いつもの次男に戻ってたけど。彼は「ママも、パパも、すき」と言い、僕たちにハグをした。長男ははにかみながら、いつも以上にに抱っこしろと甘えてきた。

優しい子たちだ。悪いことをしてしまったな。

医師でも教師でも、何でもいい。彼らが、やりたいことを見つけ、自分らしく幸せに生きていってくれれば。そう願う。

そういえば僕は将来、何になりたかったかな。医者、数学の教師、どっちにもなりたいと思った時期があったなあ。不思議だ。結局しがない機械エンジニアになったけどね。

疲労マックスの月曜日。でも気合でがんばります。